Bonne(ボンヌ)のブログ

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2020年3月 京都 ④醍醐の桜 ~その2~

  京都・醍醐寺の記事を続けます。
  下の図➀で示された三宝院エリアを出て、次は➁のエリア(伽藍)に向かいます。
 しかしこうして見ると本当に広いね。しかも今回は行きませんでしたが、さらに山の方
 には「上醍醐」と呼ばれるエリアがあります。ここに行くのはシンドイし、時間も足り
 ないので今回は見送りです。(永遠に見送りちやうか?by妻)


         

  
  三宝院の唐門を外から見るとこんな感じ ↓ です。やはり貫禄がありますね。


  三宝院から伽藍の方角へ向かう細い道(桜馬場)の両側には、桜並木が続きます。
 ちょうど満開の花盛り。観光客は桜の写真撮影に余念がありません。
 (あんたもな・・・by妻) 

 
  さてしばらく歩くと、独特な形の朱塗りの門に突き当たります。これが伽藍への入口、
 仁王門(西大門)です。


  この西大門は慶長10年(1605)に再建したもので、そこに安置されている仁王像(重文)
 は平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された尊像とのことです。
  この門をくぐると醍醐寺の伽藍エリアになります。伽藍エリアはかなり広々としてい
 ます。ここでも満開の桜が出迎えてくれました。

      


  まず目に入るのが、向かって右手の清瀧宮(本殿/拝殿)です。
 ここは醍醐寺の総鎮守 清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。永長2年(1097)に、
 最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました。現在の社殿は、永正14年(1517)に

 再建され、慶長4年(1599)、座主・義演(ぎえん)僧正により拝殿の整備が施されました。
 

   下の写真が拝殿です。均整の取れた安定感のあるお堂ですね。

 

 
  本殿は石垣の上に据えられていて、外観も歴史を感じさせます。

    

  本殿の前には大きな桜の木がありました。画質が良くなくて美しさがあまり表現でき
 ていないのが残念ですが、実物は見事でした。


  次は向かって左手、国宝の近藤ちゃう、「金堂」です。堂々とした佇まいです。
  金堂は醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建されました。現在の金堂は豊臣秀吉
 の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀吉死後の慶長5年(1600)に完成
 しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が
 醍醐寺の本尊なのだそうです。


  さらに先に進みますと、右手に大きな五重塔が見えてきます。これも国宝なのです。

    

 
  この実に見事な五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために、その第一皇子・朱雀天皇
 が承平6年(936)に着工、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成したものだそうです。
  普段は見られませんが、初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本
 密教絵画の源流をなすものといわれています。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は
 約13メートルもあり(塔の三分の一を占めるほど)、全体に安定感を与えています。
  京都府下で最も古い木造建築物なのだそうです。え?まさか1000年以上なの?一度も
 焼失していないのだろうか?修復くらいはされていると思いますが・・・
 いずれにしても極めて貴重な文化財ですね。大事にして後世に伝えていかなければ。
  
  五重塔の左右に満開の桜を配置すると、なかなか「いい絵」になります。この辺りは
 さすがに観光客が多かったですね。まぁこの素晴らしさなので、無理もないです。

  すかさず妻の写真とアムル君と記念撮影をします。(アホ)

     

  遠目の位置からは誰にも見られないので、パンダ君のゲリラ撮影も敢行!(どアホ)


  この先にも祖師堂(真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で醍醐寺を開創し
 た理源大師が祀られています。)や観音堂、弁天堂などの見どころもありますが、歩き
 疲れてしまったので、伽藍の見学はこれで終了。本当に広いですね。さらに先の山の上
 にある「上醍醐」まではとても行く気になれず。(根性無しやの・・・by妻)


  でも醍醐寺の見学はこれで終わりではありません。最後に宝物館を見学します。
 (また「続く」かいな・・・by妻)