Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア ⑥ パレルモ旧市街の見どころへ

  9月末まで工事予定だった自宅アパートのエレベータが、昨日から再開していました。
 予定より早く完了したようです。というか、あらかじめ計画を長めに立てていたのです
 よね。まぁこれで階段をエッチラオッチラ登らなくて済むので楽になります。(少しは
 いい運動になっていたのにな・・・by妻)
  そして新装なったエレベータには監視カメラとモニターが取り付けられていました。
 今日帰宅した時に何気なくそのモニターを見て、愕然としたオッサン。なんとエレベー
 タに乗っているオッサンの頭頂部を斜め上から写している監視カメラの画像が! うわ、
 もうほとんどハ●やん。そういえば床屋に行くと、最近は前髪と頭頂部はほとんどハサミ
 を入れられていないよな~(そら、理髪師さんもどうしたものか、苦慮しているんやで。
 by妻) 普通に鏡を見ているだけでは気づかなかったけれど、想像以上に頭髪が怪しく
 なっていました。もう、いっそのこと丸刈りにしようかな。ブルース・ウィリスみたい
 に。(イヤ、オッサンの場合は「たこ八郎」やで。やめといたほうが無難や。by妻) 


  と、アホなことはこのくらいにして、遅々として進まない、妻と行ったシチリア島の
 記事を再開します。
  シチリアの州都パレルモには、かつての支配者アラブ人と、その後を継いだ北欧系の
 ノルマン人の王朝によるイスラームの技術とキリスト教文化が融合した特異なアラブ・
 ノルマン様式という文化が花開きました。 12~13世紀のシチリア王国は、西欧諸国が
 キリスト教絶対主義の中で閉塞感が漂うなかで、おそらくヨーロッパで最も開放的で、
 人間的な場所だったと推測されます。これまでに見てきたノルマン王宮やカテドラルも
 その代表的な文化遺産ですが、そのほかにもまだまだ、「パレルモでしか見られない」
 独特のみどころがたくさんあります。さらにアラブ・ノルマンの後の支配者となった、
 フランス系、スペイン系の王朝支配下の時代には、その時代の本国の文化がパレルモに
 もたらされ、また一風変わった文化遺産が加わっていきました。そのため「パレルモは
 (ルネッサンスの中心地)フィレンツェの10倍の見どころがある」と言われています。


  さてカテドラルを出て、たくさんのクルマが排気ガスを撒き散らしながら走り抜ける
 狭いヴィットリオ・エマヌエーレ大通りを東に向かって数分歩くと、パレルモ旧市街の
 中心「クワットロ・カンティ」に到着します。

  クワットロ・カンティとは「四つ辻」という意味なのですが、パレルモ旧市街を南北
 に貫くローマ通りと、東西に伸びるヴィットリオ・エマヌエーレ大通りが直交する交差
 点なのです。その交差点の四隅に建つバロック風の建物は、どれも交差点の中心に向か
 って、半円形に凹んだファサード(正面)をしています。そして、1階部分には噴水が
 設置され、2階と3階には彫像が配置されています。東西南北4つの建物がすべて同様
 の形式で建てられており、ぐるっと見渡すと非常に面白いのです。

  

  このユニークな建築は17世紀スペイン支配下の時代にバロック形式で作られたもので、
 地上にある噴水は春・夏・秋・冬の四季それぞれの季節を表した像、2段目には歴代の
 スペイン王(シチリアの支配者)の像、3段目には町の守護聖女の像なのだそうです。
  しかし、この交差点は交通量がとても多く、歩道も狭いので写真を撮るのにちょっと
 苦労しました。そしてクルマのクラクションが騒々しい・・・イタリア人(特に南部の
 人)はなんでこんなにやたらとクラクションを鳴らすのかな・・・  

     

  強い日差しの下を歩き通しだったので、妻は少々お疲れ気味の様子です。


  さて、この騒々しいクワットロ・カンティのすぐ脇に、プレトーリア広場があります。
 ここにも有名なモニュメントがあるのですが・・・
  そのお目当ての「プレトーリアの噴水」は確かにありました。しかし、なぜか噴水は
 止められていて水が出ていません。これでは噴水の意味がないやんか。妻の日記には、
 「なんや、水不足なん?」と書かれていました。さすが妻らしい突っ込みです。

  あ、ヴィデオ撮影に余念がないオッサンの後姿を、妻がデジカメでパチリと。
 この噴水はもともと中部イタリア・フィレンツェの貴族の邸宅にあったもので、1570年
 にここに移されたということです。従って本場のルネッサンス様式です。30体を越える
 白大理石の裸体彫刻が配置され、異国情緒漂うパレルモにおいては逆に新鮮なイメージ
 を与えます。しかし柵があってこれらの像も外から眺めるしかありませんでした。もう
 なんだかケチやなぁ。なかなか芸術的な噴水ですけれど、もっと近くで見たかった。 

  そしてこのプレトーリア広場のさらに奥まった場所には、もう一つの広場があります。
 ベッリーニ広場というのですが、ここにもまた面白い建築がありました。

  なんだか対照的な建築が二つ並んでいます。
  右側の、赤い丸屋根が3つ乗っているのは、そう、アラブ・ノルマン様式の建築です。
 サン・カタルド教会といい、1160年ごろのノルマン王朝時代の建築だそうですが、どう
 見てもアラブ人のイスラーム建築がベースになっていると思われます。少し前に見学を
 してきたサン・ジョヴァンニ・エレミティ教会とよく似たスタイルですからね。
  そして左側はマルトラーナ教会。1143年にノルマン王朝の海軍提督(アンミラーリオ)
 の発願で建設されたものだそうで、当初はアラブ・ノルマン様式で作られたそうですが、
 その後16世紀のスペイン統治下で、正面ファサードはバロック様式に作り替えられまし
 た。ですので、外観(特に正面)から見るとこの二つの教会は対照的な姿なのですが、
 内部はいずれも創建時のノルマン王朝時代の面影を強く残す、キリスト教会といいなが
 らも非常に特異なものになっています。 


  順序は逆になりますがまずはサン・カタルド教会からご覧に入れましょう。入場料は
 1ユーロでした。妻の日記には「かなり質素だった」としか書かれていませんが、3つ
 の赤い丸屋根のドームの下はアーチ式の装飾された柱が支えており、イスラーム寺院の
 雰囲気を残しています。まぁ確かに教会としては質素ですね。今はもう、教会としての
 機能をはたしていない遺跡になっていますので、そこもエレミティ教会と似ています。

     

  上部の小さな窓から差し込む光が堂内を照らし、とても神秘的な感じでした。観光
 客はそれほど多くなく、静かに見学することができました。


  お次はマルトラーナ寺院です。実は内部はこちらの方が凄く、外観正面はバロック
 様式でさほど面白くはないのですが、中に入るとビックリ仰天します。(大げさな。)
 入口はバロック様式の正面ではなく、併設されている塔(鐘楼)の1階入り口からの 
 入場となります。そして本堂に足を踏み入れると、うわ!

 

  手前側はバロック様式に変えられていてゴチャゴチャした天井画などもあるのですが 
 奥の方には光り輝くモザイクが残っているのです。オッサンは気がはやります。
  おぉ、見上げると一面にモザイク画がはめ込まれています。こんな教会にも12世紀の
 モザイク(ビザンチンからアラブ人を通じて伝わったもの)が残っているとは。

    

 しかし、どこにもピントが合っとらん写真やな(by妻)
 ・・・あの、この写真はあなたが撮影したんですけど・・・(byオッサン)


 ということで残念ながらまともな写真が残っていませんでしたので、ネットにあった
写真を借用いたします。とても素晴らしいです。

  そうそう、これなら雰囲気が伝わりますね。色大理石の柱に支えられたアーチ部分の
 全体にびっしりとモザイクの宗教画がはめ込まれています。ノルマン王宮のパラティー
 ナ礼拝堂のモザイク画が見られなかった悔しさをいくぶん晴らすことができました。


  そしてもう一つ、この教会には有名な見どころがありました。しかし堂内は暗くて、
 それがどこにあるのかなかなかわからず、二人してウロウロしていました。妻の日記
 には「シチリア王ルッジェーロⅡ世がキリストから王冠を授けられる絵と、カメの絵
 をなんとか見ることができた。最初はなかなか見つからず、カメはどこやどこやと、
 さんざん探した」と書いてありました。
  はい、ルッジェーロⅡ世がキリストから王冠を授けてもらう戴冠のモザイクはこれ ↓
 ですね。金色のモザイクでそのシーンが描かれています。

     

  中世に信じられていた「王権神授説」そのものですね。世俗の王権とは、キリストに
 よって認められたものであり、それゆえに神聖かつ正当な権利である。というものです
 が、現代人には眉唾ですよね。
  しかし当時はそれが当たり前であり、世俗君主とキリスト教会の談合が成立したこと
 の証なのです。しかしそれゆえに、この「暗黙の了解」に従わない君主が現れたとした
 ら・・・(その人こそ、当時のキリスト教会に従わず、異教イスラームにも寛容で、後
 のルネッサンス精神を100年以上も前に体現していた英明な君主、ノルマン系シチリア
 王にして神聖ローマ帝国皇帝でもあったフェデリーコⅡ世なのです。ルッジェーロⅡ世
 直系子孫なのですけれどね。・・・また歴史オタクのウンチクが始まったな。by妻)


  ん? それで「カメの絵」とは何ぞや?・・・
  はい、ルッジェーロⅡ世戴冠図と対照的な、この絵 ↓ です。

     

  これはこの教会を建てさせたノルマン王朝の海軍提督(要はヴァイキングの船長ね)
 ジョルジョ・ディ・アンティオキアが、聖母マリアの足元にひざまずく姿を描いたもの
 なのです。妻はガイドブックでこれを見て、「カメの絵や、これはオモロイ。絶対見な
 あかん。」と意気込んでいたのでした。(アホ)
  マリア様の手にした書物(巻物?)には何か言葉が書かれていますが、この海軍提督
 がこの教会を建てたことへの感謝、お褒めの言葉なのではないかなと想像します。
 ちなみに、この教会はこの海軍提督(イタリア語でアンミラーリオ)にちなんで、サン
 タマリア・デッランミラーリオ教会というのが正式名称なのだそうです。ちょっと言い
 にくいので、今では「マルトラーナ教会」の名で通っているのかな。
  最後に良く撮れている「カメの絵」をネットから借用して掲載します。

  いやぁ、カメの絵なのかどうかはともかく、マルトラーナ教会いやサンタ・マリア・
 デッランミラーリオ教会は、小さいながらも素晴らしい教会でした。今でも現役のキリ
 スト教会ですが、この素晴らしいモザイク画や独特の建築様式により、世界遺産に認定 
 されているそうです。堂内に照明がないので少し暗いのが残念でしたが・・・


  この時点で時刻は11時、お昼までにまだまだパレルモ市内の見どころを見学します。
 さらに続きます・・・スミマセン(始めてみたのはいいけど、いつ終わるかわからなく
 なってきたの~  by妻)。