2023年10月:晴れの国・岡山の旅 ①竹久夢二記念美術館・・・
会津の旅の記事が終了しましたので、ようやく次の旅行記事に移ります。といっても
昨年10月の事ですからね・・・晴れの国・岡山の旅3泊4日でした。
静岡の地元に寄って墓参りをしてから、浜松駅から新幹線ひかり号に乗って岡山駅に
午後2時過ぎに到着しました。
この乗車券は経由地がいっぱい書かれていますが、同じ駅を通らなければ、いわゆる
「一筆書き」のように乗車券は連続して購入できるのです。JRの乗車券は長距離になる
ほど割安になるような設定をされているので、分割して購入するよりも一括で通し切符
で買う方がオトクなのです。今回は、新横浜~静岡~浜松~岡山~津山~新見~倉敷と
いうルートで通し切符を購入していました。みどりの窓口で、係の方にだいぶお手間を
かけさせましたが、JR職員は手慣れているのでホイホイと切符を作ってくれました。
(こういうことにだけは知恵が働くの~ by妻)
新幹線はやはり早い。浜松から2時間半で岡山駅に到着しました。駅の南口(正面)
には、吉備の国を代表する有名人のこの方 ↓ がお出迎えです。(第二の子分のオッサン
もちゃんとおるやん。by妻)
駅近くのシティホテル(半分死語か?)に早めにチェックインできましたので、荷物
を預けて身軽になって岡山市内観光に出掛けます。午後2時半から約3時間の予定です。
(相変わらず無茶なスケジュールを立てているな・・・by妻)
時間が限られていますので、やはり向かうのは岡山を代表する見どころ日本三大名園
の一つ後楽園と、烏城の名で知られる岡山城になります。このエリアは岡山駅から徒歩
で行けない距離ではないのですが、時間の節約にもなりますのでこれ ↓ に乗りました。
人口約60万人の政令指定都市・岡山には路面電車が走っています。後楽園の近くまで
これで行くことができますので、さっそく乗り込みました。
ちなみに、こんな車両 ↓ もあって楽しい感じです。
路面電車の停留所からは、後楽園の入口までは旭川を渡って7~8分程歩きます。
岡山は都会的なところと、昔ながらの抒情的な街並みが混在している感じがします。
表通りにはお洒落な飲食店やショップが点在していました。
あ、かなりいいワインを置いている洋食屋さんを発見。空き瓶なのですが、高級銘柄
がたくさん飲まれているようです。ちょっと気になりましたが、夕食は岡山らしいお店
を予約済なので、見るだけです。(オッサン、ワインさえあればええんやろ。by妻)
晴れの国にふさわしく、秋晴れの清々しい天気でしたが。、歩くと少し汗ばむくらい
暖かい日でした。後楽園の入口まで来ましたが、その前に近くにある岡山にゆかりの方
の観光スポットに立ち寄りました。
大正時代にロマンチックな女性画を描いて人気を博した画家竹久夢二さんを記念する
「夢二郷土美術館」です。夢二の作品や遺品・記念出版物などが所蔵されているのです。
彼は岡山県南部の瀬戸内海に面した邑久(おく)の出身で、その実家のあった場所に
も記念館があるようですが、近年岡山にもこの美術館がオープンしました。しかも観光
名所の後楽園のすぐそばですので、観光客が立ち寄りやすいです。
さっそく入ってみました。美術品を展示している美術館ゾーンは写真撮影禁止ですが、
入口付近の夢二の遺品を展示しているコーナーはOKでした。夢二が着ていた衣服などが
展示されていました。夢二のファンには見ごたえがあるでしょう。
独学で絵を学んだという夢二さん、彼の名を有名にしたのが出版物の挿し絵でした。
この独特の画風と、そこに描かれる優雅ではかなげな女性像が人気を呼んだのですね。
そして、ポスターや商業広告にも使われるほどになりました。下の絵は、楽譜出版社
のセノオ楽譜社が出版する楽譜の表紙絵なのだそうです。さぞ、売れたでしょうね。
美術館の内部は撮影禁止でしたので、パンフレットや図録からの写真を掲載します。
パンフレットの表紙は、この美術館所蔵の代表作「立田姫」でした。
これは屏風に描かれたもので、かなり大きなサイズでした。その他、有名な女性画や
子供が遊ぶ姿を描いたもの、軽いタッチのスケッチ風の風景画などがありました。あ、
珍しい油彩画(女性のヌードなど)もありました。本格的な絵画(油絵)も描いていた
ようですが、やはり生計を立てるためには商業ベースの広告宣伝用絵画が多かったよう
です。それが大衆の人気を呼び、夢二を有名人にした理由なのでしょうね。
美術館では学芸員の方(年配のおじさん)が、観光客に作品の解説や夢二の生涯など
を丁寧に説明されていました。(オッサンはそれを横で立ち聞きしとったな。by妻)
現代人にも人気があるのも、わかるような気がします。オッサン、それほどファンだと
いう訳ではありませんが、せっかくなので記念に文庫本サイズの画集を買ってしまいまし
た。😆 (ミーハーやの~ by妻)
明治40年、夢二24歳の頃の写真がありました。いかにも才能ある芸術家っていう感じ
がしますね。静かに目を閉じて瞑想しているように見えますが、何を思っていたのか。
彼は自分のことについて、こう述べていました。
「私は一つ事にがっちりかじりついていられないたちだ。してきた仕事も いつも
時代より十年早くはじめて 社会的に認められ有名になった頃には、椅子を次の世代に
譲って、私はまたほかの仕事を始めているという始末だ・・・」
時代を先取り、先見性を持っていたことを自覚していたのですね。彼は絵だけでは
なく、詩や書の分野でも優れた作品を残したようです。戦前の昭和初期に念願の欧州を
旅し、さらなる活躍が期待されていましたが、帰国後まもなく50歳で亡くなりました。
大衆的な根強い人気は今でもありますが、もっと彼の業績や芸術家としての彼のことを
広く知ってほしいということで、この美術館が作られたということです。
美術館の中には、休憩できるこんな ↓ 場所や、カフェなども併設されていてゆっくり
できるようです。夢二のファンと思われる女性が何人か訪れていました。
しかし常に先を急ぐ倍速観光のオッサン、30分でざっと美術作品の鑑賞を終え、すぐ
に次の場所に移ります。いよいよ、岡山を代表する観光名所「後楽園」です。
後楽園の見学は長くなりそうですので、次回にいたします・・・
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。