Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2023年7月:九州・博多&長崎の旅 ㉑原爆資料館で・・・

  長崎の旅もいよいよ終盤、九州・博多&長崎の旅も最終日となります。
  朝は久しぶりにゆっくり起き、再びホテル屋上の展望露天風呂でサッパリしました。
 ホテルの朝食はバイキングですが、なかなか品質が良かった。しかし写真を撮り忘れ。
  例によってネットの写真から拝借しました。こんな感じ ↓ でした。 

  食堂は明るくて広々としていましたので快適に朝食をとることができました。 フロ
 ントやこの食堂(ビュフェ)は高層階にありますので、もちろん眺望も最高です。
  このフロアの上に最上階の露天風呂(+内風呂+サウナ)があるのです。このホテル
 チェーンは基本的な造りはどの都市でも同じですが、文句を言う人はいないでしょう。 


  オッサンとしては通常より遅めの午前9時から行動開始です。チェックアウトをして
 ホテルに荷物を預け、市電に乗ってこの日の目的地に向かいます。長崎有数の観光名所
 である大浦天主堂や出島、孔子廟などに行くことも考えましたが、それらは過去の訪問
 時に一度見学をしておりますので、まだ訪ねたことがない場所に参りました。長崎駅前
 を通り過ぎ、浦上地区方面まで足を伸ばします。行先は・・・

  広島の原爆ドームのようなシンボリックなモニュメントはありませんが、長崎には
 平和記念公園(平和を祈る銅像が有名)と、この原爆資料館があります。悲しい歴史
 の記録ではありますが、一度は見ておかないといけない場所ではないかと思います。
  しかしこの日も暑い。市電の駅から資料館まではやや登り坂なので、再び汗をかき
 かき歩いて行きました。最初に訪れたのは原爆資料館ではなく長崎市平和会館の建物
 でした。レンガ造りの巨大な建築です。ここからも原爆資料館に行けるようですが。

  はい、こちら ↓ が原爆資料館の入口でした。
 (つまり、また間違えたということやな。by妻)

  長崎に原爆が落とされたのは1945年8月9日の昼。広島の3日後です。米軍がこの非
 人道的な兵器の使用によって我が国の戦意をくじき、早々に降伏に持っていこうとした
 理由は、硫黄島に始まり沖縄まで続いた血みどろの地上での攻防戦に米軍の損害が耐え
 られなくなり、本土上陸作戦を断念したことが伏線であると言われています。
  なぜ広島が、そして長崎が運命の土地に選ばれてしまったのかは、いろいろな事情・
 偶然が重なった結果だと言われていますが、そんなことで多くの罪のない方々が一瞬に
 して命を奪われ、また辛うじて助かった方の多くも被爆の後遺症により耐え難い苦しい
 人生を送らなければならなかったことには、憤りと無念さを禁じ得ません。長崎は山に
 囲まれた地形のため、原爆の爆風や放射性光線が遠くまで広がらなかったということで
 すが、爆心地の近くに居た方々の運命が悲惨なことは広島と同じでした。我が国は戦争
 当事国ですので、被害者というばかりではありませんが、なにも民間人にここまでやら
 なくてもいいだろう、という思いです。我が国の兵隊が戦地で死に物狂いで戦い、物量
 ともに豊富な米軍に抵抗し続けて多大な損害を相手にも与えてきたことが、この結果に
 つながったとすれば、なおさら暗い気持ちにならざるを得ません。
  ・・・とまぁ、一人で勝手にプンプンしていたオッサンですが、いざ資料館に入りま
 すと一気に厳粛な気持ちになりました。建物外壁に沿って緩やかに下っていくスロープ
 には、ところどころに年号が記されていて、だんだんと時間の流れをさかのぼっていく
 という趣向になっています。そして辿り着いた展示室は1945年・・・

  そして、あの運命の時刻がここに永遠に刻まれているのです。あの瞬間に、動くのを
 止めた時計の展示が、あの出来事の悲惨さを物語っています。


  広島の原爆記念館同様、ビフォア・アフターの比較写真や、直視できないような被爆
 者の遺品、爆風で変形した構造物の遺構などが展示されていて、見続けるのが辛くなる
 のですが、しっかりと目に焼き付けておかねばなりません。


  そして思わず息をのんだのは・・・

  爆心地の近くにあった浦上天主堂(教会)の遺構を再現したものです。原爆ドームの
 ようにその場所に残存はできなかったようですが、一部を復元して展示してありました。
 崩れたレンガの残骸、教会にあった聖母像やロザリオなどが高熱で変形しているものも
 展示されていました。詳しい解説は以下の通りですが、もう本当に「神も仏もない」、
 とはこのことです・・・

  ここは観光地というよりも、「学びの場」ですね。
 このほかにも原爆の作られた歴史や背景、その後の現代に続く反戦平和活動の様子など
 が展示されています。しかし、ここに長時間い続けるのはなかなか辛いものがあります。
 オッサンは1時間ほどで出てきてしまいました。


  結局今回の旅行では、ここが長崎最後の訪問地となりました。いつもお茶らけてアホ
 なオッサンですが、最後くらいは真面目に終わりたいと思います。  
  (だいぶ無理してるの~ by妻)


 ・・・と言いつつ、お昼ご飯を食べるために再び路面電車で新地中華街に戻ります。
 次回がいよいよ最終回の予定です。(別にどうだってええがな・・・by妻)