Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

久しぶりに関西の旅 ⑦奈良:興福寺の駆け足観光 ~4~

   今日は冬至ですね。一年で最も太陽が低い日(北半球)。ということは、明日からは
 少しずつ太陽が近づいてくるわけですよね。でも気温が上がってくるのは時間差がある 
 ので、まだまだ寒くなっていくみたいです。年末はだいぶ寒くなるようですので、風邪
 をひかないようにしないといけませんね。あ、ベランダの寒さに弱い植物もしばらくは
 夜、室内に取り込んだ方が良いかも・・・(気温が氷点下になると枯れるおそれあり)


  さて、遅々として進まない関西の記事を少しスピードアップします。興福寺だけでも
 4回も費やしてしまいましたので、越年は確定。どうもいかんなぁ・・・


  気を取り直して先に進めます。
  奈良・興福寺の国宝館のハイライトともいうべき、「乾漆八部衆立像」に参ります。
 「八部衆」とはインドに古くから伝わる異教(ヒンズー教関連もあるのかな?)の神を
 「お釈迦様に感化された」ことにして仏教に取り込んでしまい、仏法を守護し仏に捧げ
 物をする役目を与えたものだということです。異教を排撃するのではなく、取り込んで
 しまう包容力が仏教にはあるということかな? しかし、オリジナルの異教の雰囲気を
 残しているのでとてもエキゾチックな存在です。
  興福寺の八部衆立像は、これまた焼失した西金堂のご本尊・薬師如来様の脇に配置さ
 れたもので、なんと西金堂が創建された奈良時代734年に造られたものだそうです。
 もちろんすべての像が国宝中の国宝です。中でも一番有名なのが、これ ↓ です。
 ※今回もすべての写真はネットから拝借しております。国宝館は撮影禁止ですので。

  ご存知、興福寺で最も有名な存在の「阿修羅」です。全身像はこんな ↓ 感じ。
 「あ、これは見たことがある!」という方も多いのではないでしょうか?

       

  「阿修羅」さんはもともとインドでは大地を焼き尽くす太陽神、善神と争う(悪の)
 戦闘神として恐れられてきたそうですが、お釈迦様の教えに感化されて仏の道に入った
 ことになっています。いいんかな? まぁキリスト教がギリシャ神話の戦闘の神アレス
 (ローマ名はマルス)を聖人にしてしまうようなものかな。(イヤ、してへんわ。by妻) 
   
  しかしこの阿修羅像は、険しい顔をしてはいるものの少年のようなあどけなさを残し、
 すっきりした体躯ですので、荒ぶる戦闘神のイメージとは全く異なる印象を受けますね。
 既に仏教の守護者となっているからかな? しかし、左右にも顔を持つ三面をしており、
 手も3対ですので、ちょっと物々しい雰囲気ではあります。裸の上半身に薄い衣を纏い、
 首飾りや腕輪をはめていて、ちょっとオシャレさんですね。腰から下には独特の衣装を
 つけ、板金剛という草履のようなものを履いています。全体的に華奢な体形で、手先の
 表情まで優雅な感じです。「美しい」という言葉が自然に口から出てくるようです。
  像の高さは約150cmです。昔の人の平均身長くらいだから、敢えて普通の人間と同じ
 大きさにしたのかな。
  あ、よく見ると三面の顔が少し表情が違います。芸が細かいな・・・


  この阿修羅さんをはじめとする八部衆の木像彫刻は、「乾漆造(かんしつづくり)」
 という特殊な工法で造られているそうです。柱となる木の上から粘土でだいたいの形を
 作り、その上に漆で麻布を数枚塗り重ね、ある程度乾かしてから背中を切り開いて土を
 取り除き、空洞となった内部に板や角材を入れて補強し、その後に表面を木粉等を混ぜ
 た漆で再度塗り整え、その上に金箔や彩色をして完成させるという、とても手の込んだ
 手法を取っているとのことです。木彫り像ではなかったのですね。
  この阿修羅像は金箔や彩色の跡が残っており、保存状態がとても良いようです。何せ
 御年1,290歳ですからね!焼失した西金堂から、よく救出してくれましたよ。しかも、
 ただ古いだけではなく、造形的にも非常に独創的で表情もよく表現されており、古代の
 仏師たちの技能や芸術性が素晴らしかったことをうかがわせています。正倉院にあった
 「造仏所作物帳」という書物によれば、仏師将軍万福(まんぷく)と画師秦牛養(はた
 のうしかい)によって作られたと伝えられています。


  阿修羅さんの他7体の像は、軍装をしてそれぞれ個性的な「いでたち」をしています。

   

  上の図で左上にある阿修羅さんの隣の「五部浄(ごぶじょう)」さんは、残念ながら
 頭部と胸部(甲冑)しか残っておりません。この方はさらに幼い顔?をしていますが、
 実は八部衆のトップ格?で「天」を表すとのこと。
 あ、下の段の左から二人目の「迦楼羅(かるら)」さんは鳥の頭をした半獣半神ですね。
 ちょっと斜めを向いていてお茶目な感じですが、元々は恐ろしい怪物みたいです。 

     

  一つ一つが異教の邪神の異形の姿をしていながらも、仏に仕える身になった後である
 ために全般的に穏やかな表情をしていて、そこが非常に面白いところです。このような
 素晴らしい作品を、8世紀の奈良時代に造っていたとは、我が国も素晴らしいですね。
 非常に誇らしい気分です。(国宝オタクめ。by妻)
  国宝館の中の展示はこんな感じ ↓ でした。(オッサンの撮影したものではありません)

  


  さらに八部衆の次には、「乾漆十大弟子立像」というこれまた同様の技法で造られた
 国宝の像が控えています。こちらも八部衆と同様に、奈良時代の734年に西金堂が創建
 された時に、薬師如来様の周囲に安置されたものだそうです。もちろんこれも国宝です。
 (しかし、ちょっと不気味やの~by妻。失礼なこというたらアカン。by私)

  お釈迦様には1250人もの直弟子がいるそうですが、その中でも最も優れた10人の
 お弟子さんの像だそうです。名前を書いても誰が誰だかわかりませんので割愛させて
 いただきます。(もう疲れてどうでもよくなってきたな。オッサン。by妻)
  あ、しかし興福寺国宝館に残っているのは10人のうち6人の像だけだそうです。
  じゃあ代表してお二人に登場していただくことにしましょう。まずはトップ格の弟子
 であったという「迦旃延(かせんえん)」さんです。他のお弟子さんたちは静かに佇む
 控えめな姿ですが、この方は上半身裸で右足を少しだけ前に出し、口を開いて何かを語

 りかけるという動きのある像にいなっています。コンサートマスターみたいな存在か?
     

  もう一人は「富楼那(ふるな)」さん。この方も説法が得意な方で信者獲得に貢献を
 されたようですね。

       

  全員がインドの方なのですが、この仏像たちはすべて剃髪した日本人のお坊さんの姿
 をしています。八部衆はオリジナルでよかったのでしょうけど、お釈迦様のお弟子さんは
 人間ですので、見慣れた日本人の顔にした方が無難、というところだったのでしょうか。


  続いては、東金堂のご本尊薬師如来様(オリジナル)の台座周囲に張り付けられたと
 考えられている「板彫十二神将立像」です。こちらも国宝です。

  平安時代の作といわれ、正面を向くのが一体のみで他は右や左を向いたりして躍動感
 のある板彫りの彫刻です。彩色はかなり損なわれていますが彫刻としては12体すべてが
 残っていて、それぞれが特徴のある姿勢・表情をしていて見ていて楽しいです。
  正面を見据えた真達羅(またら)大将様と、最も激しい動きの迷企羅(めきら)大将
 様に登場いただきましょう。

                       

          


  この他にも重要文化財の厨子(ずし)に入った「木造弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつ
 はんかぞう)※下の写真:鎌倉時代の作」や、同じく重要文化財の平安時代の作である
 木像釈迦如来坐像など、見どころはたくさんあります。さらに仏画やお経の書、仏具の
 お宝もたくさんあり、スゴイ美術品を見過ぎてだんだん感覚がマヒしてきます。

     

  最後に一つ、中国渡来の「華原磬(かげんけい)」と呼ばれる興福寺の至宝をご紹介
 いたします。天平6年(734)創建西金堂の仏前に飾られていたもので、大理石の台の上に 
 前方を睨んで伏す獅子を置き、その背に六角柱を立てて柱に雌と雄の各2匹の龍が尾を
 巻きつけています。龍は胴の空間に金鼓を抱えて、周囲を睨みつけています。中国・唐
 時代の工芸技術の高水準を示すものとして注目されます(ただし金鼓部分は鎌倉時代に
 後から付け加えられたものだそうです)。これはさすがに古代の先進国の面目躍如です。

    

  すべてをご紹介することは厳しいので、ご興味のある方はぜひ現地を訪ねてホンモノ
 をご覧いただければと思います。常設展ですので、いつ行っても見られるはずです。
 あ、ちなみにこの国宝館は、昔の食堂(じきどう:僧侶たちの食事をする場所)の跡に
 建設されたそうです。素晴らしいものをたくさん見せていただき、有難うございます。


  これでようやく興福寺シリーズは終了です。長々とスミマセンでした。
 (ほんで、その後はどこへ行くんや?by妻)