Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

今朝のベランダのバラと、京都で買って帰ったチョコレートの話・・・

  今日は少し早めに起床し、出勤までの間にベランダの手入れをしました。
  今週は少し暖かい日が続いたので、バラがまだ咲き続けてくれています。
 ローラちゃんは、一時期カイガラムシの攻撃で瀕死の状態に陥りましたが、新しい枝
 が伸びて新しい葉っぱが付き、晩秋になってからぽつぽつと咲いてくれました。最後
 の一輪は、珍しく?すっくと一本立ちして美しい立ち姿です。

    


  そしてフェルゼン伯爵様が本領を発揮してきました。

  このバラは、明るい紫色でとても良い芳香がします。まさにフランスのバラ、って
 いう感じがします。古い枝についた葉っぱは少し病変してしまいましたが、秋になって
 新しく伸びた枝はまだ健全です。このバラはカイガラムシには比較的耐性があるように
 思いますが、病気にも比較的強いようです。(オッサンの手入れがもうちょっとマシだ
 ったら、もっときれいに咲いているな。私が育てたら見違えるようになっているで~、
 悪いけど。by妻)

     

  冬になって葉っぱが落ちたら、少し刈り込んでもう少し大きな鉢に植え替えようかな
 と考えています。花付きをもう少し良くしたいですからね。あ、今はちょっと花がない
 ですが、燃えるような深紅のバラ、イングリッド・バーグマン様も植え替え対象でした。
 一度に二つは無理かな~  
  ちなみに京成バラ園で初めて見た時は衝撃的でした。うちのベランダにあるバラも、
 京成バラ園から購入したものです。人気があるのでいつ現地に行っても品切れでしたが、
 昨年ネット販売で売り出したのを知り、直後にGETしました。😆


  今日は帰宅した後、先週京都の直営店で購入したベルギーのチョコレートショップ、
 「レオニダス」の箱を開けました。

   じゃーん!(アホ)

  イチゴと蜜柑(マンダリン)のゼリー、チョコレートはプラリネ(ヘーゼルナッツの
 クリーム)の入ったミルクチョコとホワイトチョコ、そしてオッサンの好きなマロンの
 ペーストが入ったチョコなどです。日々の楽しみに、少しずつ頂こうと思います。😆


  前にもどこかの記事で書いたと思いますが、レオニダスとは古代ギリシアの都市国家
 スパルタの王の名前です。スパルタは、当時のギリシアの都市国家(ポリス)の中では
 アテネと並ぶ強国でした。
  しかしアテネが経済力と海軍力を背景に民主的で自由な国だったのに対し、スパルタ
 は軍事力(陸軍)と厳しい法律による閉鎖的で抑圧的な国でした。この2つの都市国家
 は、ギリシア全体を征服しようとした当時の大国ペルシアの前には同じギリシア民族と
 して一致団結して戦うのですが、ペルシアを退けた後は再び争いを起こし、最終的には
 ペロポネソス戦争と言ういわば不毛な内戦に突入します。
  当時栄華を誇っていたアテネが内部から軟弱化していった一方、厳しい訓練と過酷な
 環境に普段から慣れていたスパルタが遂にアテネを追い落として、全ギリシアの覇権を
 握る結果となりました。経済的に発展していて自由で開放的な国が、経済水準が低くて
 抑圧的な国家に軍事力で圧倒されてしまったのです。このことは、現在の世界情勢を思
 うと、実に暗澹たる気持ちにさせられます。ペロポネソス戦争の後のギリシア世界は、
 一時的に覇権を握ったスパルタもそれを維持することができず、結果的に全ギリシアが
 混乱と衰退へと落ち込んでいき、マケドニアの若き英雄アレクサンドロス(アレクサン
 ダー大王)の前に全ギリシアが屈服し、果ては新興国家ローマに全ギリシアが飲み込ま
 れることになるのです。
  ・・・って、またものすごく脱線していないか?、オッサン・・・(by妻)


  あ、すみません。レオニダス王の話でした。そのスパルタの王レオニダス(ちなみに
 スパルタでは「王」とはルイ14世のような絶対君主ではなく、兵を率いて率先して外
 敵と戦うトップ、と言う意味でした。そのためスパルタには常時「王」が二人いました。
 常に一人が戦いに出て、もう一人が国内にとどまり内政に加わるというかたちでした。)
 は、まさしくペルシア戦争(第二次)でクセルクセス王の率いる10万人とも20万人とも
 いわれる大軍を迎え撃った、世界史に残る英雄でした。
  かつてのオスマン帝国同様に、当時のペルシアは支配下に置く属国の民衆を兵に駆り
 立て、彼らを前線に立たせて犠牲をいとわずに数にモノを言わせて突撃してくる戦法を
 取っていたと言います。一方迎え撃つギリシア側は、オスマン帝国に対抗したイタリア
 の都市国家ヴェネツィア共和国などと同様に、人口が少ないために動員できる兵力は敵
 の数分の一しかありません。つまり人海戦術で消耗戦をやられると耐えられないのです。
 (あ、このペルシアやオスマン帝国の戦法は、あのP珍とかいうギャングの率いる暴虐
 国家が今やっていることと同じですね・・・人命軽視の独裁者が私物化する迷惑国家、
 世界の鼻つまみ者は、昔からずっとあるんですね・・・やれやれ。)


  という訳で、圧倒的な兵力の敵の大軍を前にして、ギリシア本土中枢への入口となる
 テルモピュレーの峡谷でペルシア軍を阻止しようとしたのがレオニダス王なのです。
 時は紀元前480年、レオニダス直属のスパルタの精鋭300人を中心とした7000人のギリ
 シア連合軍の重装歩兵(ファランクス)は、騎兵を先頭に突っ込んで来るペルシア兵を
 谷合いの隘路で待ち構えて迎撃します。ペルシア王クセルクセスの軍はこれを突破する
 ことができず、いたずらに損害を出し続けてしまいます。そこで一計を案じたペルシア
 王はギリシア側にスパイを送り込み、内通者によりギリシア軍の背後に出られる迂回路
 の情報を聞き出します。この作戦はまんまと成功し、ギリシア軍の背後にペルシア騎兵
 が突如として現れることになりました。
  この状況を悟り、ギリシア連合軍は挟み撃ちを避けるために撤退するのですが、レオ
 ニダス率いるスパルタの精鋭300人は撤退を拒否します。その理由は、味方の兵が安全
 な場所に逃げるまでの時間を稼ぐためと言われていますが、それ以上に「スパルタ兵は
 敵に後ろを見せることは無い」という彼らの信条によるものだったのではないかといわ
 れています。本当のところは定かではありませんが、結果としてスパルタ兵は文字通り
 テルモピュレーで玉砕しました。しかし、その過程で自らの何十倍もの敵兵を道連れに
 し、ペルシア王の大軍を足止めすることになりました。そして、その「時間稼ぎ」のお
 陰でスパルタ以外のギリシア都市国家の兵は全滅を逃れ、次の決戦の地サラミス沖での
 アテネ軍主体の海戦での、ギリシア連合軍の起死回生の大逆転劇を可能としたのでした。
 サラミスの海戦で敗れたペルシア軍はついにギリシア征服を諦め、ギリシア世界は救わ
 れたのでした。
  歴史に「もしも」は禁句ですが、もしこの時、無傷のままのクセルクセスの大軍が

 ギリシア連合軍に勝ってしまっていたら、その後のギリシア都市国家の経済・文化の

 繁栄、ひいては現代につながる西洋文明の発展はなかったかもしれない、というと言い

 すぎでしょうか・・・

  レオニダス王と700人のスパルタ兵は、命を賭してその礎になったのです。


  ここから先の話は、本当にあった話なのかどうかは分かりませんが、事実であっても
 おかしくない物語として、2,500年もの間、語り継がれてきたものです。
  
  ギリシア軍の背後に回り込んだペルシア王クセルクセスの使節が、レオニダスの元に
 やってきて降伏を迫ります。ペルシア王としても、この後のギリシア全土の征服のこと
 を考えて、なるべく自軍の犠牲を少なくしようという考えはあったようです。しかし、
 誇り高きスパルタ王の答えは、一言、「モローン、ラベ(来たりて、取れ)」。つまり、
 我々の土地が欲しければ、力ずくで獲りにくればよかろう、と言い放ったのです。 


    

  
  ペルシアの大軍20万人(ちょっと「盛っている」かもしれないとの説アリ)に挟み撃
 ちされたレオニダスと700人の兵は、絶望的な状況の中で誰一人として敵に背中を見せず 
 最後の一人まで戦い抜いたと言われています・・・
 現代のギリシア人に、こんな人はたぶん一人もいないでしょうね・・・(失礼)


 ・・・オッサン。何を一人で悦に入っとるん? 最初はバラの花の話やチョコレートの
 話やったのに、いつの間に古代西洋史の話になっとるんや?(by妻)


  あ、スミマセン。しかしベルギーのチョコレート屋さんが、どうしてレオニダス王の
 名前をお店の名前にしたのだろうかと考えたら、やっぱり店主の方がこのレオニダス王
 のエピソードに胸を熱くしたからではないかな、と思いましてね・・・
  そうだ、思い出した。バラの花にもレオニダスという名前を付けた品種があるんです。
 2年前の秋に千葉の京成バラ園で初めて見たのでした。

      


  バラとチョコレート、レオニダス王・・・意外なつながりがありました。
 (なんか無理やり感ちゅうか、「こじつけ」っちゅう感じがするな・・・by妻)
  そうそう、肝腎のチョコレートの味はとても美味しいです。さすがです。😆