2023年7月:九州・博多の旅 ④いよいよ祇園山笠の追い山へ・・・
始めたばかりで滞っていた九州旅行の記事を、細々と再開いたします。😆
到着した初日は、博多祇園山笠のクライマックスである追い山を見学する予定です。
ここまでの飾り山笠の見学、櫛田神社入りのリハーサルは、単なる前座?なのです。
博多祇園山笠のフィナーレを飾る追い山は、毎年7月15日の明け方にスタートしま
すので、オッサンは早めの夕食を採った後、いったんホテルに戻ります。
あ、中洲の通りを歩いていますと、また大きな飾り山笠がありました。今年の四番
山笠の中洲流(なかすながれ)の山のようです。これもデカい!
街中のど真ん中に山車が出ているのは、京都の山鉾みたいな感じですね。
題材は関ヶ原の戦いでしょうか? かなり凝った造りです。
隙を見て再びパンダ君のゲリラ撮影を敢行するオッサン(アホ)・・・
道行く人たちが立ち止まって写真を撮影していきます。そら当然ですわな…
中洲から地下鉄の中洲川端駅の方に参りますと、あ、ここにも山笠がありました。
二番山笠の大黒流(だいこくながれ)の山です。
こちらは飾り山笠ではなく、櫛田神社に突撃する山笠ですね。この後の本番に備えて
念入りな整備をされているのだと思います。なんだかこちらも緊張してきます。
反対側に回りますと、にこやかな大黒天様のお姿が! ちょっとユーモラスですが、
大黒流ですから題材はやはり大黒様なんですね。見ているだけでご利益がありそう!
しばらく歩いて行くと、博多座の前を通り過ぎました。九州勤務時代には、ここで
松本幸四郎さんの襲名披露歌舞伎を見ました。もう6~7年前かな・・・
そして午後7時前には宿泊ホテルに戻ってきました。シャワーを浴びてしばらく仮眠
をして、午後9時過ぎに再びムックと起き出したオッサン。追い山見学の準備にとりか
かります。(つぅても、徹夜の準備をするだけやん。by妻)
そうなんです。せっかくホテルに宿泊してもゆっくりしている暇はありません。追い
山を、それも櫛田入りの場面を絶好のポジションで見学するには、少なくとも午後10時
には場所取りをして、そのまま徹夜で並んでいるしかないのです。オッサン、最初から
そのつもりでやってきたのでした。(ホンマにアホちゃうか?by妻)
コンビニでおにぎりとペットボトル入りのお茶を買い、身支度をしていざ出陣です。
あ、ホテルのすぐ横にある冷泉地区(西流に属する街区)の集会所には、締め込み
姿の人たちが集まっていました。最後の打ち合わせでしょうか?
灯が照らす夜の博多の街が、いつにも増して活気を帯びて賑やかになっています。これ
が追い山の夜なんだなぁ~
オッサンは、はやる心を抑えつつ櫛田神社の前の通りに向かいます。うわぁ、もう既に
多くの人たちが繰り出していて、道路端の歩道に場所取りのゴザやシートを敷いて座って
いました。うわ、ちょっと遅かったか・・・
おや? 少しだけスペースが開いている場所がありました。オッサンは、近くに座って
いたお爺さんに「あの、ここのスペースは空いていますか?」と訊くと、振り向いたお爺
さん、にこやかに笑って「うん、空いとるよ~ よかですよ~」と答えてくれました。
ちょっと足が不自由な方のようですが、今(午後10時)から追い山が始まる午前5時頃
まで座りっぱなしで大丈夫なんでしょうか? とりあえずオッサンはお礼を言って、お爺
さんの隣の場所を確保しました。ここは櫛田神社入りする山笠のスタート地点に近くて、
スタート場面を真正面から見学できるのと、直角に曲がって櫛田神社に入っていく山笠も
後ろから見ることができる絶好のスポットです。やったぁ!有難う、お爺ちゃん!
そうこうしているうちに櫛田神社の前に集まる人がさらに増え、締め込み姿のオジサン
やお兄ちゃんが次々と櫛田神社にお参りにやってきました。数人でパラパラとやってくる
こともあれば、集団で掛け声をかけながら小走りにやってくる方々もいます。集団で参拝
する方々がやってきますと、「オイサ、オイサ」やら「オッショイ、オッショイ」という
掛け声とともに締め込み姿の集団が姿を現すので、観客?も大喜びです。
左後方に見えるのが、櫛田神社の神主さんたちが陣取る櫓ですね。ここで太鼓を鳴らし
ながら山笠が櫛田入りするのを盛り上げてくれます。
交通整理係?のお兄ちゃんが佇んでいます。😆 その背後にある藁積みの場所が、
櫛田神社の「清道」への入口です。直角ターンなので非常に危険なため、防護用の藁
が積まれているようです。
しかし、午後10時から追い山の始まる一番山笠の出陣時刻である午前4時59分まで
はメチャクチャ長い。この日は雨は降らなかったので良かったのですが、蒸し暑い中
を約7時間も待つのはシンドイな・・・と、思っていましたが・・・
実はオッサンに場所を譲ってくれたお爺ちゃんが非常に人なつっこい方で、しきりに
オッサンに話しかけてきたのでした。聞くところによると、この方はもう30年以上!も
(コロナで中止となった年を除いて)毎年見物に来ているのだそうです。しかも、同じ
この場所で。なんとオッサンは、図らずもそんな観戦のベテランの方と同じポジション
を確保できたのでした。これはラッキーです。
しかもお爺ちゃんから山笠の歴史や追い山の時の見どころを教えて頂いたり、このお
爺ちゃん自身の武勇伝?を聴かせて頂いたので、全く退屈はしませんでした。お爺ちゃ
んは昔、遠洋漁業の乗組員で、1970年代に南アフリカや南米などに遠征に行っていたの
だそうです。昔はこういう乗組員さんは危険も多かったので、報酬もかなりのものだと
いうことでした。しかし「宵越しの銭は持たない😆」若かりし頃のお爺ちゃんは、お金
が入ると「ぱぁ~っと」使ってしまったそうでした。😆 さすが九州男児ですね!😆
その昔、アパルトヘイトという人種差別政策を行っていた南アフリカでは、日本人は
「名誉白人」として白人並みの扱いだったので、特権階級みたいな感じだったそうです。
その一方で中華系やインド系の方々は二級市民、現地のアフリカ系の方々はそれ以下の
扱いだったということで、非常に複雑な思いでお話を伺っていました。ネルソン・マン
デラさん以前ですので、ちょっと想像がつかないですが、大変な時代だったようです。
そうこうしているうちに深夜0時を過ぎ、あっというまに午前2時を回りました。
お爺ちゃんが「そろそろ一番山笠がスタート地点まで来ますよ~。私が荷物の見張り
をしていますから、近くまで行って見てきたらよかですよ~」とおっしゃいます。確か
に遠くの方でなんだかざわざわとしているような感じです。お言葉に甘えて、オッサン
はスタート地点の方に向かって300メートルほど歩いて行きました。
すると、おぉ! なんと既に一番山笠の土居流(どいながれ)の山笠がスタンバイを
していました。台の上にも既に人が一人だけですが乗っています。担ぎ手の方々は既に
真剣な表情ですね。まだスタートまで3時間近くあるのですが、緊張が走ります。
スタート地点より少し前の所定の位置に着くと、山笠を固定し、最後の調整に入る
ようです。一番山笠はとりわけ注目されますからね・・・
一番山笠と二番山笠がスタート地点の少し前のところまでやってきていたので、オッ
サンはじっくり写真撮影をすることができました。
こちら ↓ は二番山笠の大黒流です。あ、夕方に中洲川端駅近くで見た山笠ですね。
こちらも所定の位置まで行くと、いったん山笠を下ろして固定して待機となります。
この2つの山笠を間近で見学した後、オッサンはもとの場所に戻りました。
この頃になると、櫛田神社前の道路に沿った歩道は人でぎっしりです。オッサンが戻
った時にはお爺ちゃんがちゃんとスペースを確保してくれていたのでセーフでした。
気が付くとオッサンの後ろにもたくさんの人たちが壁のように並んでいました。すぐ
背後にいたお姐様方も、毎年見学に来られているようです。九州の方は本当に気さくな
方が多くてオッサンはこのお姐様方にも話しかけられました。「どこから来なさった?」
と訊くので「横浜からです」と答えると、そんなに驚かなくてもいいだろうと思うほど
びっくりされて「んまぁ~、そんなに遠くからわざわざ~、大変ねぇ~」と言いながら
オッサンに飴ちゃんをくれました。😆 お姐様方にしたら、オッサンがお子ちゃまみた
いに見えたのでしょう。(ホンマにお子ちゃまやで。相手するのに骨折れるで。by妻)
オッサンの隣は若いOL(死語?)の二人連れ。お爺ちゃんが彼女たちに話しかけると、
福岡県南部の大宰府から仕事を終えてそのままやってきたそうです。山笠の追い山を観
るのは初めてで、コーフン気味のようでした。(そう言うオッサンもかなりテンション
が上がっとるんちゃうん?by妻)
オッサンが陣取った場所から、櫛田神社入口はすぐ近くです。時刻は丑三つ時😆。
あと2時間弱で、追い山が始まります。嵐の前の静けさ・・・と言った感じです。
それから約一時間、午前4時近くになりますと、急に灯が明るくなりました。そして、
静寂を破って櫛田神社からアナウンスの声が聞こえます。「みなさま、おはようござい
ます・・・」、そして櫛田神社と祇園山笠の歴史などを解説してくれました。いよいよ
始まるんだなぁという感じが強まってきました。急激に櫛田神社付近も混雑し始めます。
気が逸るオッサンですが、長くなりましたので本日はここまでといたします。
(なんや、ここまで引っ張っておいてこれで終わりかいな、ブーブー🐷 by妻)
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