2022年10月 広島の旅 ⑥安芸の小京都・竹原 ~その1~
いろいろあって、広島旅行の記事が中断したままでした。尾道の記事を書き終えたの
で、ちょっと気が緩んでしまったのかも・・・ということで再開します。(シチリア島
の記事や、こないだの九州の記事はどうするんや? by妻)
2日目の朝、尾道駅近くのホテルで朝食を取り、名残惜しいので近くをブラブラしま
した。海岸通りに出て、小さな公園のようなところにきました。対岸の向島は大げさで
はなく、本当に手を伸ばせば届きそうなくらいの近さです。(イヤ、無理やで。by妻)
フェリー乗り場も、朝からもう動き始めている感じです。
前日の夜、食事に立ち寄ったお店です。海岸通り沿いにあります。
パン屋さんとお惣菜屋さんは早朝からかなりのお客さんが詰めかけていました。
お惣菜屋さんは、お店の中で食べられる朝食セットが人気のようです。オッサンは既に
ホテルの朝食を頂いているのでスルーです。パン屋さんは、本当は本通り商店街にある
お店に行くつもりでしたが、勘違いをしてこのお店に入ってしまいました。まぁここも
本格的な美味しいパンを造っているところのようですが・・・
作りたてホカホカのメロンパンと、フォンダンショコラの入ったパンを購入しました。
おっと、こんなことをしているうちに出発の時間が・・・尾道は本当に立ち去り難い
街ですね・・・またいつか来たいと思わせる魅力がいっぱいです。
ひとまず、さようなら、尾道・・・
(なんて余裕をかましている暇は全然なくて、キャリーケースを引き摺って駅まで走っ
て、出発間際の電車に飛び乗ったんやな。オッサンは・・・by妻)
・・・ということで8:07発の三原行きの山陽本線の普通電車に乗り、次の糸崎駅へ。
ここで始発の呉線の広(ひろ)行きの普通電車に乗り換えます。なぜ分岐駅の三原駅が
始発ではなく、その一つ手前の糸崎駅が始発なのか理解に苦しみますが、まぁいいか。
だだっ広くて殺風景な糸崎駅のホームで待っていると、8:21発の広行き電車が到着。
この区間はほぼ一時間に1本しか電車が走っていないので、綿密な計画立案が必要です。
三原駅を過ぎて呉線に入ると、進行方向左手の車窓に瀬戸内海が迫ってきます。うわ、
ほぼ波打ち際みたいなすれすれのところを走ります。これはすごい。
そして瀬戸内海は島々がびっしりと密集している?ので、車窓は変化に富んでいます。
ずっと見ていても飽きません。(お子ちゃまみたいに窓におでこをくっ付けて見ている
恥ずかしいオッサン・・・by妻)
あ、遠くの方に橋桁が見えました。しまなみ海道の一部なのかなぁ? そうそう、
瀬戸内海は行き交う船が本当に多いですね。小さな漁船もいっぱい海に出ていました。
小一時間ほど電車に揺られて(線路状態が悪いのか、本当によく揺れました)、この
日の最初の目的地、竹原駅には9:06に到着しました。
のどかな、地方の小駅といった感じです。
ここ竹原は、平安時代から京都の下鴨神社の荘園として栄えたため「安芸の小京都」
と呼ばれているそうです。そして江戸時代には北前船の寄港や、塩田開発による塩の
生産・商売で栄えたのだそうです。その頃の面影を残す旧市街(歴史的町並み保存地区)
の観光がお目当てです。
しかし駅から旧市街までは結構歩きます。ちょっと寂れた駅前商店街を通り、徒歩約
15分で、歴史的町並み保存地区の入口に到着します。
小さな川を渡り、小ぢんまりとした古風な街並みが見えてきました。上の図のように
わかりやすい看板がありましたし、狭いエリアに見どころが密集していますので、迷う
ことはほぼ無いと思います。ここは「観光客向けの街」ではなく、今でもここに暮らし
ている人たちがおり、地元の方向けに営業している商店もあります。観光客もちらほら
と見かけますが、とても静かな佇まいです。
その一つ、竹原三大酒蔵と言われる「竹鶴酒造」さんが、入口からほど近いところに
ありました。しかしこの風格のある建物は観光用に公開はしていません。それでも観光
客が店内を覗いていくらしく、店先には「ここは一般の住居です。覗き見は遠慮願いま
す」みたいなことが書かれた張り紙がありました。マナーは守らないといけませんね。
そうそう、なぜ観光客が覗き見をしていくのかと言いますと・・・
ここは、あのニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝さんの生家なのです。(あの国営
放送でかなり前に放映した朝の連ドラ「マッサン」のモデルですね。)そうだったのか。
この竹鶴酒造さんの前の道がこのエリアのメイン通りです。観光客向けに整備されて
いて小ぎれいな道なのですが、通りに立ち並ぶ商家や民家はなかなかイイ感じです。
そして自転車が似合う町並なんです。(乗っているのは地元の方々ですが)
竹鶴酒造からすぐのところに、この街を代表する商家「旧松阪家」の住宅があります。
なかなか堂々としたお宅ですね。現在の建物は明治12年に改築されたものだそうです。
それでも140年ほどの古さですね。唐破風の屋根や庇、出格子など、実に堂々とした構え
をしています。江戸時代から、酒造りや製塩業で財を成した家なのだそうです。
しかしここは今では現役の商家ではなく、市営の博物館になっていて、見学できます。
人通りが少ないので、こんな写真もバッチリ。(アホ)
開館時間は10時なのですが、係の人に「入れますか?」と尋ねますと、「どうぞ!」
と通してくれました。まだ9:30を少し過ぎたくらいだったのに、竹原市観光協会?の方
でしょうか、柔軟なご対応を有難うございます。イタリアでは120%こんなことはあり
えません。いや、フランスでもドイツでも英国でも一緒かな。こんなにお客に優しいの
は世界広しと言えども、(いわゆる先進国の中では)おそらく日本ぐらいですね。
内部は意外に質素ですが、趣があります。
縁側に座って風流な庭を眺めていたくなりましたが、オッサンは先を急ぎます。
(そんなことだろうと思ったわい。by妻)
歴史的町並み保存地区なので、どの建物も昔風の木造家屋ですが、よく見るとお洒落
なカフェだったりします。そうそう、こうした町家を改造したホテルもありました。
そこに宿泊していると思しき若いカップルが、着物姿で闊歩しているのを見ましたが、
なかなかいいですね。
軒先にオモシロイ飾りを吊るしているお店がありました。なんだろう、これ?
この後は、町並み保存地区の背後の小高い場所にあるお寺に向かいます。急な石段を
登っていきますので、少々息が上がったオッサン。
1603年、ここに移築されたという西方寺(浄土宗)です。お寺も立派なのですが、
観光客にはその敷地内にある「普明閣」という展望台?のほうが人気です。
ここからは歴史的町並み保存地区はもちろん、現代の竹原の街が一望できます。
某大型スーパーの看板も見えてしまうのが興ざめですが・・・
ちょっと長くなってしまいましたので、竹原観光は次回に続きます・・・
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