Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2023年GW:会津の旅 ⑫会津の誇り:鶴ヶ城 ~その3~

  昨日はタイガースがカープに3連勝。「アレ」へのマジックは遂に5となりました。
 先発の伊藤将司投手が、いつも通り力強い投球で10勝目に到達。この3連戦で、3人の
 先発投手が揃って10勝目を挙げたのですが、驚いたことに全員が無四球だそうです。
 そういえばそうかな、と思い返したオッサン。確かに四球がないので相手の攻撃が短い
 気がしました。ということは相手のペースにさせない、ということにもつながりますね。
 これだけコントロールがいいと、死球なんか起こりようがないです。どこぞのヘボ投手
 とベンチは大いに反省して学習をしてもらいたいですね。(イヤ、相手が強うなったら
 オッサンは困るんちゃうか?by妻) 


  さて、昨日はタイガースの試合の後も、大相撲の初日や、フランスで開催されている
 ラグビー・ワールドカップの日本代表の初戦と、半日以上テレビでスポーツ観戦したの
 で疲れてしまいましたので、ブログはお休みしました。テレビを見ていても力が入ると、
 疲れますよね・・・😆 
  本日は遅れに遅れている、GWの会津の記事の続きです。(GWの記事かいな・・・
 もう、どうだってえぇんちゃうん?by妻)


  会津若松の鶴ヶ城の見学の終盤です。城内の博物館には、会津の伝統工芸などの展示
 もありました。有名な会津漆器の器に盛られた会津の郷土料理の「こづゆ」です。

  こづゆは、干した帆立ての貝柱や、きくらげ、きのこ、根菜やお麩などが入ったお汁
 ものです。ハレの日のもてなし料理なのだそうです。(オッサン、この少し前に昼食で
 頂きました。)会津らしい、素朴で滋味あふれるお椀でした。


  あ、これも会津伝統の「絵ろうそく」ですね。季節の草花などが描かれていて美しい
 です。妻がろうそく(キャンドルって言うてんか。by妻)が好きだったなと思い出した
 ので、お土産物屋でちょっと物色しましたが、結局買わなかった・・・(ケチ。by妻)

  陶器や磁器も生産されていたのですね。やはり派手さはなく、質実剛健と言う感じ。
 (オッサンはその器より、中身のお酒の方が好きやんな。by妻)

  このほか、鶴ヶ城の落城時の悲劇として、籠城していた会津藩の重臣の妻子たちが、
 自ら切腹して果てたという悲しい話の展示がありました。オッサン、こういうのは苦手
 なので、写真撮影は無しです。会津藩は敗北しましたが、藩主松平容保(かたもり)は
 謹慎後に許され、またその息子は国替えとなった斗南藩の藩主となるなど、新政府側の
 戦後処理は比較的寛大だったといえるかもしません。しかし、責任を取らされた老中
 などの一部の重臣は死罪となったようですので、その妻子も運命を共にしたということ
 でしょう。白虎隊の悲話とともに、語り継がれていくのでしょうね。
  あ、その他、テレビドラマにもなったという(オッサンはよく知らない)、山本八重
 さんに関する展示もありました。

      

  戦死した弟の代わりに、男装して?籠城戦を戦っていたという八重さん。無念の思い
 を歌に託し、お城の土蔵の壁に刻んだということです。確かにドラマみたいだな・・・


  この後は天守に登り、見晴らし台から周囲を眺めました。

  若松の町は、山に囲まれた盆地にあることがよくわかります。


  お城から降りて来てすぐ、共通入場券で見学できる茶室「麟閣(りんかく)」に入場
 します。ここは千利休の息子が、会津の当主となった蒲生氏郷(がもう・うじさと)の
 ために建てたものだと言われています。やはり氏郷が、都の文化を会津の地に伝えたと
 言えるでしょう。

  復元したものだとは思いますが、茅葺で趣のある建物です。

  かなり広い茶室ですね。氏郷や、代々の当主がここでお茶を楽しんだのでしょうか。


  やはり鶴ヶ城の見学には、1時間程度の時間は必要かなと思います。

  名残惜しいですが、先を急ぎます。時刻は午後3時少し前・・・

  お城の前にも「赤べこ」君がいました。デカい。😆

  帰りは北側の北出丸の方へ向かいます。
  鶴ヶ城はやはり広かった。1ケ月の籠城戦を耐え抜いただけのことはあります。

  このあとは、再び市内観光めぐりのバス「赤べえ」号に乗って、若松旧市街に向かい
 ます。オッサンの目的の一つです。(どうせアレやろ、やっぱり・・・by妻)