思い出の旅 2007年:最終回・・・
いつまでやっとるんじゃい! というくらいダラダラと続いていた2007年のシチリア
とナーポリ周辺の旅の記事ですが、今回が最終回です。もう帰るだけなんですけれど。
名残惜しいのですがポンペイ遺跡ともお別れです。結局半分くらいしか見学できませ
んでした・・・やはり3時間では無理ですね。満足するには半日は必要です。
ヴェズーヴィオ周遊鉄道のポンペイ・スカーヴィ(ヴィッラ・デイ・ミステーリ)駅
に向かう途中には観光客目当ての土産物屋が並んでいました。特産のオレンジやレモン
がいっぱいです。このあたりのレモンはかなり巨大な果実ですが、皮が厚いので中身が
少ないらしいです。食用と言うよりは調味料や食品の原料になっているみたいです。
オレンジは普通っぽいです。シチーリアのオレンジはサングィネッラ(血まみれ)と
呼ばれる真っ赤な色をしていて甘いのですが、生産量は少ないようです。英語でもブラ
ッディ・オレンジといいますからね・・・
またまた薄汚れたヴェズーヴィオ周遊鉄道の電車に乗り、ナーポリ中央駅まで戻りま
す。もう時間がないので、そのままFS(イタリア鉄道)の駅に向かいます。
前にも書きましたが、既に2007年時点でナーポリ中央駅は明るく生まれ変わってい
ました。薄暗くて怪しい危険な香りはもうありません。ここから、イタリア鉄道ご自慢
の高速列車フレッチャ・ロッサ(赤い矢)号に乗車します。イタリア版新幹線です。
欧州諸国の高速鉄道は、在来線とレールの幅が同じ(標準軌)なのですが、やっぱり
200km/hを越える高速運転をするには専用の新線を造る必要があります。イタリア鉄道
も、フランス国鉄と同様に主要幹線部分は高速新線を敷設して速達列車を走らせるよう
にしているため、ナーポリからローマまでは高速新線を走ることができます。(ちなみ
にイタリアの東海道新幹線:ミラーノ~ローマは既に高速新線が敷設されています。)
どうでもいいことですが、鉄っちゃんのオッサンはナーポリ中央駅でも「電車小僧」
になっておりました。😆(アホ)
イタリア鉄道ごお自慢のユーロスター・イタリア、ETR500系の高速列車です。愛称
は、フレッチャ・ロッサ(赤い矢)です。妻も速い乗り物が好きなので(一番好きなの
は戦闘機🤥)、高速鉄道には興味があるようです。
しかしユニークな妻は、この列車を見て「なんだかニヤニヤ笑っているみたいな顔や」
と言っていました。ま、確かにそういわれれば赤い部分が口みたいに見えるかな・・・
同じ形式ですが、塗装が普通の列車も停車していました。こっちの方が格好いいな。
ローマ経由のミラーノ行き、オッサンたちが乗車するのはこちらでした。
オッサン、わざわざホームの端まで行って、こんな ↓ 写真を撮りました。😆
(さすが鉄っちゃんや。立ち入り錦糸町のところに入ったらあかんで。by妻)
高速列車フレッチャロッサの一等車の内部はこんな感じ ↓ です。シンプルな内装ですが
機能的で、そして何よりも快適でした。日本の新幹線と同じくらいの車体ですが横一列と
ニ列の配置なのでゆったりしています。しかし座席の向きは変えられません。日本人は、
後ろ向きになるのは嫌なので必ず座席の向きを変えられるようになっていますが、欧米人
はそういう事にはこだわらないようです・・・ほとんどが固定座席なんですよね~
ゆったり一等車の座席に座ってご機嫌の奥様です。(シチリアから乗ったコンパート
メント方式の二等車はキツかったけど、これなら大丈夫や。by妻)
ナーポリ中央駅を発車してしばらくすると、ヴェズーヴィオ山が見えました。ナーポリ
側から見るとこんな形 ↓ なんですね~ (なんや、普通っぽいよな。by妻)
ローマ街道のように?、ほぼ一直線に敷かれた高速新線を走るフレッチャ・ロッサは
快適そのもの。あっという間、僅か一時間少々でローマ・テルミニ駅(終着駅)に到着
しました。学生時代に急行列車で3時間近くかかったナーポリ~ローマ間は、所要時間
が半分以下になりました。やはり高速新線の威力?は凄いなぁ・・・
ローマ・テルミニ駅は、ミラーノ中央駅と並んでイタリア鉄道の中心となる駅です。
イタリア全土からの列車が集結します。こちらは ↓ ETR460型かな? フレッチャ・
ダルジェント(銀の矢)と呼ばれるユーロスター・イタリアの特急列車です。ピーサ、
ジェーノヴァを経てトリノまで向かう列車だったかな?
そして、おぉ懐かしい!1990年代、イタリア鉄道(当時はイタリア国鉄)が高速鉄道
に力を入れ始めた頃、最初に量産されたETR450型特急列車が停車していました。丸くて
赤い鼻がカワユイと評判なのですが、車内は君津ちゃう気密性に欠け、トンネルを出る
時にいわゆる「耳ツン」現象が起きるという、ある意味欠陥があるのですが、鉄ちゃん
には大した問題ではありません。歴史的な名車両を見ることができて良かったです。
と言う感じでローマ・テルミニ駅でも30分程、「電車小僧」になっておりました。
もう少し時間に余裕があれば、駅前のワインショップに行ったのですが・・・
(そんな場所に行ったらアカン。ワインに夢中になって飛行機に乗り遅れるわい。by妻)
仕方なく、テルミニ駅からそのまま空港行きの列車「レオナルド・エクスプレス」に
乗り換えます。ローマの空港は海沿いのフィウミチーノというところにあるのですが、
愛称をレオナルド・ダ・ヴィンチ空港というので、そこへ向かう列車の名前も、それに
ちなんで付けているようです。(岡山桃太郎空港みたいなもんやな。by妻)
空港までは40分くらいかな。古めかしい電気機関車に牽引された昔の客車でしたので
全然お洒落ではなかったです。16年前なので、今はどうなっているでしょうか?
この時の旅は珍しく余裕をもってチェック・インできました。JAL便のカウンター
前には日本人がゾロゾロ。しかしJALのローマ便は、既に廃止されてしまいました。
イタリアに行くには便利だったのにな~(もうそんなに行くことないやろ・・・by妻)
この時は免税になるような買い物もなかったので、すんなり搭乗できました。
(そら行くだけで精いっぱいやから、高価な買い物はできんわな。by妻)
ローマを夜の8時発、夜間飛行なので機内食の夕食を頂いて、すぐに就寝です。
長い旅行(長い記事)も、ようやくこれで終わりとなります。やれやれ・・・
こんなしょうもない記事に長らくお付き合い頂きまして、有難うございます。また、
ネタに困ったら昔の旅の記事を書こうかな~ 😆 (やめとけ。by妻)
~ Fine ~
<旅の記録>
1日目
東京(成田)ーーーJAL---ローマ(フィウミチーノ)
ローマ(フィウミチーノ)ーーーアリタリア航空ーーーパレルモ(プンタ・ライージ)
2日目:パレルモ市内観光
ノルマン王宮、サン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会、カテドラル
クワットロ・カンティ(プレトリアの噴水)、マルトラーナ教会、サン・カタルド教会
ア・ヴッチリア市場のレストランで昼食
モンレアーレのドゥオーモ・回廊、サンタ・チータ礼拝堂
3日目:シチリア島内のドライブ・ツアー
◆アグリジェント:神殿の谷(ジュノー神殿、コンコルディア神殿、エルコーレ神殿、
ジォーヴェ神殿)、国立考古学博物館
◆ピアッツァ・アルメリーナ:カザレのローマ時代の別荘
◆マドンナ・デラ・ロッカ :タオルミーナの町と海の眺望
夕食:ミシュラン一つ星のカーザ・グルーニョ
タオルミーナ音楽祭:ミラノ・スカラ座室内管弦楽団のコンサートを鑑賞
4日目:タオルミーナ滞在
ギリシア劇場、4月9日広場、市立公園、イゾラ・ベッラで海水浴
コルヴァヤ館でシチリア州立美術館の作品を鑑賞
5日目:カルタジローネとカターニャ観光
タオルミーナ・ジャルディーニ駅 ⇔ カターニャ(中央駅)⇔ カルタジローネ
◆カルタジローネ:ラ・スカーラ(陶器の階段)、サンタマリア・デル・モンテ教会
シチリア州立陶器博物館
◆カターニャ:ドゥオーモ広場(像の噴水)、ドゥオーモ、クロチーフェリ通り
6日目:タオルミーナ→カプリ島へ
タオルミーナ・ジャルディーニ駅ーーーIC特急ペロリターノ号:途中メッシーナ海峡
連絡船に乗車ーーーナーポリ(ピアッツァ・ガリバルディ駅)
ナーポリ(ベヴェレッロ港)ーーージェットフォイルーー-
カプリ島(マリーナ・グランデ)
夕食:カプリ地区のレストラン・アウローラ
7日目:カプリ島観光
◆カプリ地区:ウンベルトⅠ世広場、アウグスト公園
◆マリーナ・ピッコラ:海水浴
◆アナカプリ地区:サン・ミケーレ教会、ソラーロ山(チェア・リフトで登る)
ヴィッラ・サン・ミケーレ
◆マリーナ・グランデ:ティベリウスの海水浴場
夕食:カプリ地区のホテル・クゥイジサーナのダイニング、クゥイージ
8日目:ナーポリ・ポンペイ観光
カプリ(マリーナ・グランデ)ーーージェットフォイルーーー
ナーポリ(ベヴェレッロ港)
◆ナーポリ:国立考古学博物館
ナーポリ(中央駅)ーーーヴェズーヴィオ周遊鉄道ーーーポンペイ・スカーヴィ駅
◆ポンペイ:ポンペイの古代ローマ遺跡
フォロ、フォロの浴場、牧神の家、悲劇詩人の家、ヴェッティの家
秘儀荘(ヴィッラ・ディ・ミステーリ)
ポンペイ・スカーヴィーーーヴェズーヴィオ周遊鉄道ーーーナーポリ(中央)
ナーポリ(中央)ーーー高速列車フレッチャ・ロッサーーーローマ(テルミニ)
ローマ(テルミニ)ーーーレオナルド・エクスプレスーーーフィウミチーノ空港駅
ローマ(フィウミチーノ)ーーーJALーーー
9日目 ーーー東京(成田)
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