Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2015年GW フランス・ドイツの旅 ⑦印象派絵画の殿堂 その3 【追記】

  もう連休が終わってしまいましたが、2015年GWの旅の記事を続けます。
  オルセー美術館のことを書き出すと、やはりどうしても長くなってしまいます。絵画
 に興味のない方には退屈かもしれませんが、悪しからずご容赦ください。
  あ、言い忘れましたが、ルーヴルやオルセーでは、三脚やフラッシュを使わなければ
 展示された絵画の写真撮影は許可されています。さすがは太っ腹ですね。


  さて次のシリーズは印象派の画家といっていいのか微妙ですが、古典的アカデミズム
 に支配された当時のパリの画壇(つまり世界的権威)に波紋を投げかけ、新しい時代に
 道を拓いた天才画家、そうエドゥアール・マネさんです。ここオルセーには、美術愛好
 家ならば知らぬ者はいないほどのエポックメイキング的な名画がいくつも収蔵されてい
 ます。さぁそのうちいくつを鑑賞することができるでしょうか?


  まずはいきなり、これ ↓ ですよ!

  ちょっと光が反射してしまって見づらくてすみません。かの有名な「草上の昼食」と 
 よばれる作品(1863年)です。この絵が発表された時、パリの画壇・文化社会の間には 
 激震が走りました。「これはスキャンダルだ!」と。
  今の我々の目から見たら、え?これのどこが問題なの?と思ってしまいますが、当時
 の常識を覆す、いわば「タブー」に挑んだ作品だったのです。
  当時でも裸体は古典的題材の中では許されていましたが、この絵では背景の風景こそ
 古典的(ギリシャ・ローマ風)な雰囲気を残していますが、前景には当時流行りの風俗
 ともいうべき屋外でのピクニックの様子が描かれています。問題は、その当時の風俗を
 表した題材のなかに、(古典的な題材・神話などでしか表現されていなかった)裸体の
 女性を描き込んだことです。しかもきちんとした身なりの紳士と同席させる形で・・・
  
  当然、古典的絵画を絶対視する当時のアカデミズムのお偉方からは避難囂々(ごうご
 う)です。彼らの頭の中では、古代神話のヴィーナスや、古代ローマ史のルクレツィア
 の裸は許されても、これは絶対ダメだったのです。なぜか?
  実にくだらない理由です。
  要するに絵画とは「理想を描くもの」であり、「現実(の穢れた世界)を描くもので
 はない。」という趣旨のようです。この女性は端的に言えば「娼婦」を連想させるもの
 であり、「不道徳(インモラル)」なのだと。
  絵画が単なる「キリスト教の広告媒体」に過ぎなかった時代に、それ以外の目的でも
 絵画は成立しうることを証明した先駆者たちがいましたが、まさにその時と状況は似て
 いると思います。そもそも、神話や歴史的逸話に名を借りて、女性の裸体画を描かせた
 王様や貴族だって「道徳的」とは言えないでしょう。完全なダブルスタンダードです。


 「絵画とは理想的な美を追求するものでなければならない。現実の世界と混同させては
 ならない」ということですが、それは「絵画はキリスト教の布教に役立つものでなけれ
 ばならない。キリスト教の教えに反する題材を描いてはならない」というのと根は一緒。
 カトリック教会が自らの権威に挑戦する者を排除するために言ったのと同様に、アカデ
 ミズムのお偉方(とその周辺)が自分たちの地位と権威を守るために言っている戯言に
 過ぎません。
   ・・・どうでもいいけど、何をムキになっとるんや、オッサン(by妻)


  この作品は1863年のサロン(官展)に出品されましたが、「不道徳」を理由に落選。
 その後、同サロンで落選した作品を集めた落選展にも展示されましたが、同様の理由で
 批評家たちに批判されるなどスキャンダルを巻き起こしたそうです。でも、そのお蔭で
 マネの知名度があがり、マネさんも「よし、もう一丁やったろかい!」みたいな気分に
 なったのかもしれません。


  そして描かれたのが次の作品、これまた超有名な「オランピア(1863年)」です。

  はい、マネさんはいわゆる「チャレンジャー」だったようです。反対されればされる
 ほど「燃えるタイプ」とでも言いましょうか・・・「懲りない人」いや「信念の人」と
 言わなければ彼に失礼ですね・・・
  ただマネさんは「権力に歯向かう闘士」だけの存在ではありません。革命的なテーマ
 を選ぶだけでなく、技巧的にも新しいチャレンジをしていました。それこそルネサンス
 絵画の時代からの常識である「遠近法」をほぼ無視し、デフォルメされた構図を採用し
 ています。これも野心的な試みであり、ひょっとするとその後のセザンヌやキュビズム
 の画家(ピカソを含む)にも影響を与えた、と言えるのかもしれません。スゲェです。


  しつこいようですが、この作品の解説をネットから引用します。
 ~マネはこの作品を1865年のサロン(官展)に出品し、作品自体は入選したが、『草上
 の昼食』と同様に「現実の裸体の女性」を主題とした事が批判された。『オランピア』
 という名が当時のパリにおける娼婦の通称だったこと、黒人女性が白人女性の召使とし
 て描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性はサンダルと首に巻
 いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流のアカデミック絵画において
 考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なり、
 裸体の女性が当時の娼婦を表している事が明らかであった事も非難の理由だった。~


  そしてもう一つ注目すべき点は、アカデミズムのお偉方が崇拝していた古典的絵画の
 代表作のいわばパロディでもあったことです。対象となったのはこの ↓ 作品です。

  これはイタリア・ヴェネツィアで活躍した盛期ルネッサンスの画家ティツィアーノの
 代表作「ウルビーノのヴィーナス(1538年)」です。これこそ、当時の画壇のお偉方が
 理想としていた絵画なのでしょう。マネはこれを脚色して、オランピアを描いたと思わ
 れます。いわば「アカデミズムの硬直性・欺瞞を白日の下に晒す」という確信犯ですね。
  まぁ、ルネッサンス絵画が好きな私としては、正直に申しますとこっちの方が優れた
 絵画だとは思いますが(オイオイ。by妻)、「全ての絵画がかくあらねばならない」と
 言われると、「それは、違う~だ~ろお~(古)」と言いたくなりますね。


  私としてはマネの功績のもう一つは、彼がタブーに挑戦してその壁に穴をあけたこと
 によって、後に続く後輩たちが「ある程度自由に題材を選んだり、新たな技法に挑戦す
 るためのハードルを下げたこと」ではないかと思っています。先に挙げた、印象派絵画
 のど真ん中で活躍した画家たちが輩出したのも、マネさんが道を切り拓いていてくれた
 ことが理由のひとつなのかなと思います。マネさん、有難う。


 【追記】
  マネは生前は必ずしも絵の売れた画家ではなかったため、彼の死後、この作品が外国
 に売り飛ばされそうになった時、なんとモネさんが「この絵が他国に流出することは、
 我が国の損失である」と言って自ら買い取ったということです。今、オルセーでこの絵
 を鑑賞できるのはモネさんのお蔭です。モネさん、有難う。


  さて、そんなマネさんですが、四六時中闘っていたばかりではなく、普通の名画?も
 数多く残しています。もう一つ、誰でもご存知の名作を紹介させて頂きます。
 

      

  「笛を吹く少年(1866年)」です。オランピア発表後、パリを逃れてスペインに滞在 
 していたマネが、現地でスペインの画家ディエゴ・ベラスケスの絵を見て触発され、描
 いたものだといわれています。ちなみにこの笛は木製の横笛「ファイフ」と呼ばれるも
 ので、この指遣いのとおりに吹くと「ソ(G)」の音がするそうです。
 (それがどうした?by妻)
  背景がなく、人物だけを浮かび上がらせた手法は、日本の浮世絵の影響もあるのでは
 ないかとの説もあるそうです。なんだかこじつけがましいな・・・


   さらに、もう一つ紹介しておくべき絵があります。これまた有名な作品です。
  「バルコニー(1869年)」です。

    

  
  この作品は、当時のブルジョワ階級(マネ自身もそうでした)の生活の一コマを描い
 たものですが、重要なのは描かれた人物が画家に深く関わる人物だったという事です。


  最も注目度の高い前景左側の女性は、ベルト・モリゾ。そう、彼女自身も印象派絵画
 の著名画家の1人(マネの弟子)であり、マネのモデルを務め、最終的にマネの弟の妻
 となる女性です。マネにとってはとても重要な女性だったことは確かです。この物憂げ 
 なまなざしと思わせぶりな表情、いろいろあったのかも?なんて邪推してしまいます。
 (そういうワイドショー的な見方はやめんかい!オッサン。by妻)
  その隣の女性はピアニストだった画家の妻シュザンヌの友人で、演奏仲間のヴァイオ
 リニストの女性。きっとマネ家で開かれたサロン・コンサートの常連だったのでしょう。
 そして後ろに立つのは画家の友人で、これまた画家であったアントワーヌ・ギュメさん
 です。(ごめん、知らんなぁ)
  
  そして極めつけ、背後の暗闇の中に亡霊のように浮かび上がる異様な少年の姿。彼は
 マネの息子ですが、妻シュザンヌと結婚する前の私生児です。マネが認知していないの
 で、ここにもドロドロした物語が潜んでいそうです。だって、自分の息子をこんな風に
 扱わないですよ、普通。この扱いは酷いじゃないですか。絶対になんかあるわ、これ。
 (もういい加減にワイドショーのレポーターみたいなコメントはやめんかい!by妻)


【追記】ちょっと気になってきたので、ネットで調べてみました。
  どうやらこの闇の中に描かれた息子レオンは、妻シュザンヌ(マネの弟のピアノ教師)
 が、マネとの結婚前に産んだ子だそうです。高級官僚だったマネの父は当時マネとシュ
 ザンヌの結婚を許さなかったようですが、なんだかんだあって結婚できた後も、なぜか 
 マネが認知をしていないことから、いろいろな憶測を呼んでいるようです。
  また、この「バルコニー」のことについて、ベルト・モリゾが姉宛の書簡で興味深い
 コメントを残しています。
  ~マネの『バルコニー』の中に描かれた私は、醜いというよりも「風変わりな女」で、
  ファム・ファタール(宿命の女)という呼び名が好奇心の強い人たちの間に広まって
  いるようです。~
  ふーん、ベルト・モリゾって意外に醒めた目をした知的な女性だったのですね。これ
 は、マネの「バルコニー」がサロンに出展された時に、ベルト・モリゾがマネ本人から
 「自分の代わりに自分の絵(がどう評価されているか)を見てきてほしい」と頼まれた
 時のことを書いているそうです。マネってやんちゃなようでいて、意外に小心者なのね。
 なんだか憎めないですね。


  ・・・とまぁ、マネさんは才能はあるし野心家だし、新たな時代を切り開いたスバラ
 シイ天才芸術家ですが、私生活ではオイオイ、みたいな感じを匂わせますね。まぁそこ
 がまた人間臭くて魅力的なところかもしれません。
  ん、この絵にはなぜか妻シュザンヌがいませんね? そういえば妻を描いた作品って
 少なくとも有名な作品の中にはなかった気がします。あまりに身近な存在であり過ぎて、
 妻からはミューズの力を得られなかったのでしょうか・・・


  最後に、「バルコニー」に描かれた主役ベルト・モリゾの代表作をご紹介します。 
 彼女の実質的なデビュー作であり、代表作でもある「ゆりかご(1892年)」です。

   

  描かれているのはモリゾの姉と生まれたばかりのその次女だそうです。これは印象に
 残りますね。オッサンではこのような繊細な絵は描けないでしょう。女性が描いたもの
 と分かっているのでバイアスがかかっているかもしれませんが、女性ならではの優しさ、
 繊細さ、儚さといったものが見事に表現されているように思います。娘を見守る母親の
 目つきは優しいようでもあり、憂いを帯びたようでもあり・・・
  こんな優しい絵を描く美しい女性だったのですから、マネさん(とマネさんの弟)を
 魅了したのも分かるような気がしますね。
  
  今回はかなり、頭でっかちで文章だらけのブログになってしまいました。悪しからず。
 きちんとした知識もなく、知ったかぶり+ネットのウィキペディアに頼ったいい加減な
 内容ですので、誤解や誤りがありましたらお許しください。 


  次回はもうちょっと肩の力を抜いて書きますね。(別にどうだっていいけどな。by妻)