思い出の旅 2007年:番外編ナーポリ周辺 ⑦ポンペイ最後の日・・・ポンペイ遺跡見学~その3「秘儀荘」~
今日はポンペイ遺跡の続きです。(もう何が何だか、訳がわからんな。by妻)
ポンペイの遺跡は城壁に囲まれた市街地だけでなく、城門の外にあった一部の遺跡も
見学できます。次の見学先は、その名高い郊外の別荘「秘儀荘(ヴィッラ・デイ・ミス
テーリ)」です。城壁の北西側にあるエルコラーノ門から、いったん城壁の外に出るの
ですが、少々離れた場所にあるとはいえ、歩道でつながっているので簡単に行くことが
できます。ここまで見学される方はあまり多くないようですが、オッサンはここは必見
と思っていましたので、時間に余裕があるうちに先にこちらを見学することにしました。
フォロの浴場から、さらに北に向かいエルコラーノ門を目指します。古代ローマでは
既に道路には馬車が通りましたので轍(わだち)ができていました。ただしゴムタイヤ
はまだありませんので(当たり前)、鉄の車輪です。きっと馬車が行き来するときには
騒音がひどかっただろうなと思います。
あ、跨線橋のような歩道の向こうに、その「秘儀荘」が見えてきました。これは建物
の構造が比較的頑丈でしっかりと保存されています。ということは、内部の保存状態も
よいということですね。そう、ここにはポンペイの遺跡で最も有名で、最も神秘的な
フレスコ画があるのです。一度、ホンモノを見てみたいと思っていたオッサン、気が
逸ります。
この城壁の外にある建物はポンペイの有力者の別荘だったということらしいですが、
なぜ城壁の外にあり、しかも「秘儀荘」などという変てこりんな名前で呼ばれているの
でしょうか?それはこの建物の所有者が、古代ローマでは禁じられていたギリシア由来
の「デュオニュソス信仰」の信者で、人目を逃れてその信仰を秘かに守るための場所で
あったからだと言われています。
なんや、その「デュオニュソス信仰」っちゅうのは・・(by妻)
デュオニュソスとは、古代ギリシア神話のお酒の神様、古代ローマではバッカスと呼
ばれていた神様です。その教義は「社会の法や束縛から逃れて自由になろう」という、
実に人間臭いものでしたが、それは法や秩序を重視する古代ローマ社会とは相容れない
ものでした。お酒を飲んで酔っ払ったり、羽目を外して乱痴気騒ぎをしてもOK、特に
自由のなかった女性の方々に人気があり、庶民だけでなく上層階級にも秘かに広がって
言ったと言われています。(そんならオッサンも真っ先に入信しそうやな・・・by妻)
たぶん最初の内は、おおらかな感じの信仰だったのでしょうが、非公認とされ、さら
には禁じられて弾圧されて地下に潜ると、信仰は過激化していくのが常ですね。入信に
は秘密の儀式が必要とされ、ちょっと危ない教義や運用ルールが定着していったようで
す。そして、この秘儀荘には、そのデュオニュソス信仰の入信の儀式を描いた壁画が、
かなり保存状態の良い形で残っていたため、「秘儀荘」と呼ばれるようになったのです。
しかし、オッサンはデジカメの撮影に失敗していたので、スミマセンがネットからの
写真で代用させて頂きます。(かなり暗くて、ピンボケ写真ばかりになっていました。)
ということで、さっそくその代表的な一枚です。
中央の椅子に座った女性が、これからデュオニュソスの秘儀を受け、入信するところ
のようです。その儀式の模様が、広間の四方の壁一面に描かれているのです。女性の右
側で、竪琴を弾いている醜いオッサンが酒神デュオニュソス様です。「飲めや歌えや、
楽しくやろうよ」、という非常にわかりやすい教義だったのでしょうかね。だとしたら
オッサンにもピッタリです。(アホ)
ちょっとアップにしますと色彩の鮮やかさがよくわかります。どうです、この赤い色!
「ポンペイ・レッド」と呼ばれるこの壁画の色は実はオリジナルではなく、火山性のガス
の影響で赤く染まってしまったという説もあるようです。となると偶然の産物かもしれま
せんが、2000年前の壁画が、これほど状態の良い形で残されているのは驚きです。しかも
描かれている題材がなかなか面白く、また学術的にも、古代ギリシアの秘教の実態や古代
ローマでの信仰の様子がわかるという意味で、とても貴重です。
どうやら、この下の写真の椅子に座っている人が教祖?というか、この入信の儀式を
取り仕切る人のようですね・・・
そして入信の儀式の壁画はさらに続きます。次は何と、「むち打ち」の場面です。
この厳しい通過儀礼を経て、入信が認められるということのようですが、このあたりが
怪しい宗教にありがちですよね。しかしそういうミステリアスなところがまた、信者を
集める理由の一つになっていたのかもしれませんね。
(でも客観的に見たら、ただのヘンタイというか暴力やんな。by妻)
この厳しい試練?に耐えて、晴れて入信が認められるっちゅう訳ですかな・・・
その後で教祖?が入信者をいたわっているのですが、こうやって信者を篭絡していくの
でしょう。本当に古今東西、宗教っちゅうのはイヤらしいよな~ オッサンの考えでは、
だいたい信仰っていうのは本人の意思で決めるのであって、勧誘とか布教するとかいう
こと自体が眉唾なんですけどね・・・(宗教絡みの発言はブログではご法度やで。by妻)
ちなみにその右側では、儀式を終えて信者となった女性が、お酒を飲んで裸になって
踊って喜んでいるところを表現しているみたいです。これもちょっと、ヤラシイよね~
きっと信者の女性にお酒を飲ませて裸で踊らせるのが、この秘教の目的なんちゃうか~
(麻●なんとかと紙一重やな・・・つぅか、オッサンも入信しかねないな。by妻)
なんとなくデュオニュソスの秘儀には共感できないオッサンですが(ホンマ?by妻)、
この秘儀荘に残されていた見事な一連の壁画には感動しました。素晴らしいの一言です。
全体像はこんな感じ ↓ です。一部、壁面が剥がれている箇所があるのが残念。
この秘儀荘は、有力者の別荘というだけあって部屋数も多く、この儀式の間の他にも
多くの部屋が見学できました。しかしことごとく写真撮影には失敗 ↓ ・・・😢
デュオニュソス様と思しきオッサンが踊っている壁画の写真が残っていました。
しかし肝心のデュオニュソスの入信儀式の写真が全滅・・・悔やまれるな~
この壁画は複製ではなく、これがオリジナルなので、ナーポリの考古学博物館ではなく
ここ秘儀荘に来なければ見ることができません。ここは見に来る価値があると思います。
さて、秘儀荘の見学に30分ほど費やしてしまったので、残り時間は1時間を切りまし
た。もはやポンペイ遺跡全てを見る余裕はありません。城壁の中の遺跡に戻って、あと
は著名な邸宅の遺跡をいくつか見て回ることにしました。(なんでいつも時間に追われ
て、慌てて観光せなアカンのかいな・・・by妻)
ということで、ポンペイ遺跡編はあともう1回続く予定です・・・
いつまでもダラダラとスミマセン・・・
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