Bonne(ボンヌ)のブログ

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思い出の旅 2007年:番外編ナーポリ周辺 ⑧ポンペイ最後の日・・・ポンペイ遺跡見学~その4~

  すっかり忘れていましたが、2007年の南イタリア旅行の記事が終わっていませんで
 した。(もはやどうでもえぇけどな。by妻)
  ポンペイの遺跡見学の途中でした。「秘儀荘」の壁画を見学してから、再びメインの
 遺跡に戻って、残り1時間弱で見学を続けます。もう、広大なポンペイ遺跡(一つの町
 でしたからね)を全て見ることはできません。著名なスポットに絞って見学します。
  
  まずはポンペイでも有力な貴族の家「ファウヌス(牧神)の家」です。かなりの広さ  
 の敷地面積ですが、建物は一部しか残っていません。アトリウムの中央に、踊る牧神の
 ブロンズ像(コピー)が置かれています。これは少し前に見学したナーポリの国立考古
 学博物館にあった傑作彫刻なのですが、この家から発見されたのですね。

  そして、なんとあの大きなモザイク画「アレクサンダー大王とペルシア王ダリウスと
 の戦い」も、この家から発見されたそうです。すごいお金持ちだったのですね~


  続いては「ヴェッティの家」と呼ばれる邸宅を見学します。ここもかなり広いお屋敷
 で、建物自体がほぼ完全に残っています。ギリシア風の円柱に支えられた回廊は、個人
 の家とは思えない豪華さですね。建物の壁面にはやたらと装飾のフレスコ画が描かれて
 いますが、ちょっとゴチャゴチャしていて趣味がいい感じではないですね・・・

  そうなんです。この家には、さらにこんなもの ↓ まであったのです。このフレスコ画
 が有名なので人気を集めているらしいですけど、ちょっとな~

    

  これは生殖の神プリアポスなんだそうです。ちょっと一部が剥がれていますが、天秤
 の左側に金貨の入った袋、右側に巨大な男性器を吊るしているという、なんだかな~と
 いう絵です。ここの主人は商売上手で莫大な金持ちになったそうですが、子孫の繁栄と
 金儲けを天秤にかけているんでしょうか?だとしたら、ユーモアなのかな? それにし
 ても古代ローマ人は性にはおおらかだったようです。キリスト教徒に発見されていたら
 真っ先に破壊されていたでしょうが、火山灰の下に埋もれていたので残ったのです。


  古代ローマ時代の建築は、ベースはレンガのようです。公共建築はその上に大理石の
 パネル?をはめ込んでいったようですが、個人の家は大理石をふんだんに使うのは無理
 だったのかもしれません。屋根が残っていない遺跡は、直射日光が照り付け、雨ざらし
 になっているので少しずつ傷んでしまっているようです。

 この家 ↓ は屋根が残っているので、中のフレスコ画もなんとか保存できているようです。
 青い色が鮮やかです。これも2000年も前のものとは思えないです。床面にはモザイク、
 壁面にはフレスコ画、中庭を巡る回廊にはギリシア風の列柱というのが、古代ローマ人
 の邸宅の定番のようです。あ、もちろん金持ちの家、ですよ。庶民はやはり長屋のよう
 な狭い集合住宅(インスラ)に住んでいたようです。

 
  古代ローマの町には、遠くから引いてきた水を汲み出す場所が必ずあります。金持ち
 や有力者の家には水道が引かれていますが、庶民のアパートには水道はありません。
 この水汲み場で生活用水を採取していたのですね。しかし2000年前に、上水道・下水道
 が整った町を作り上げていたローマ人、古代とは思えない快適な暮らしをしていたので
 すね。繰り返しますが、当時の日本は縄文時代で狩りと採集で細々と暮らしていました。


  そうそう、妻のお気に入りの写真がありました。ポンペイの道は車道と歩道が分かれ
 ていて、車道には横断歩道のような敷石を配置した場所がありました。そこを渡ってい
 る妻の写真です。ちょっと背景に観光客が写り込んでしまいましたが、お茶目な?妻が
 その横断歩道をジャンプして渡っているところです。😆 

  こうして町の北西側にある区画の見どころを駆け足で巡り、再び遺跡の入口近くの、
 フォロのところまで戻ってきました。


  もう残り時間がありません。本当はこの後、アンポンタン通り、ちゃうアッポンダン
 ツァ通りを右に向かい、遺跡の東南部分を見学したかったのですが、タイムアップです。
 大劇場も、円形闘技場も、ヴィーナスの家や娼婦の館といったスポットは見学できませ
 んでした。やはり「秘儀荘」に行っていたので、2時間ではすべての見学は無理でした。
 (当たり前やん。オッサンのスケジュールはいっつも詰め込みすぎなんや。by妻)

  ということで、上の地図で言いますと、左側の3分の1くらいしか見学できませんで
 した。もし、もう1回訪れるチャンスがあれば、今度は3時間くらいかけて見学したい
 です。やはり「秘儀荘」まで見ると3時間くらいは最低でも必要だと思います。
  そうそう、まだポンペイ遺跡は発掘途上のところもありますので(右上の緑色の部分)
 ひょっとしたら、まだ驚くべき貴重なものが発見されるかもしれません。
 
  ・・・これにて2007年夏、シチーリア島とカプリ島、ポンペイの観光は終了です。
 時刻は午後2時。この後は午後8時にローマ・フィウミチーノ空港を出発する日本航空
 の飛行機に乗って帰るだけです。次回が、最終回となる予定です。
 (まだ終わらんのか・・・by妻)