Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

久しぶりに関西の旅 ⑬法隆寺 ~その5:大宝蔵殿1~

  昨日ウルフムーンだったせいか、今日はひときわ寒く感じた関東地方南部です。
 しかし北国の皆様からしたら、「屁みたいなもの」でしょうね。  
  今日は今週唯一の在宅勤務日でしたが、曇天のため洗濯も布団干しもできず。ただ、
 外出もしませんでしたので出費ゼロ。夕食は買い置きの食材で適当にやりくりしました。
 アトランティック・サーモンのムニエル、野菜餃子の残り、もやしとニラの炒め物。
 (ショボいので写真なし)
  
  さて、忘れかけていた法隆寺の記事を続けます。(そろそろ終わらんとな。by妻)
 法隆寺の中心的な建築物の集まる「西院伽藍」の見学を済ませた後は、「大宝蔵殿」と
 いう法隆寺所蔵のお宝仏像・仏具などを展示公開している場所に参ります。 

 (また仏像シリーズか・・・by妻)

  この建物自体は平成10年に落成したもので特別なものではありませんが、その所蔵品
 は法隆寺の誇る国宝や貴重な文物が数多く所蔵されており、必見の場所なのです。
  朱塗りの神社のような感じですが、中央の百済観音堂(くだらかんのんどう)と、東
 西の宝殿から成っています。西宝殿の入口から順路に沿って見ていきます。


   まずはいきなりの白鳳時代(西暦650年~710年)に造られた国宝仏像、夢違観音
  (ゆめたがえかんのん)像です。元々は法隆寺の東院伽藍の絵殿という建物に安置
  されていたとのことです。あ、もちろんここも撮影禁止ですので、ネットから画像を
  拝借させて頂きます。

          

  銅製鍍金で像の高さは 87.3cm。頭部の三面宝冠と台座は別鋳ですが、本体は一鋳に
 なっているそうです。全体像はスリムでしなやかな感じですね。アップにすると、表情
 がよくわかります。切れ長の目と心なしかほころんでいる口元、とても柔和な感じです。 
 頭にかぶった三面宝冠には、小さな仏像が彫りこまれています。薄衣とアクセサリー?
 がオシャレに見えますね。とても1300年ほど前の作品とは思えない保存状態の良さ。

    

  ちなみに「夢違観音」というネーミングは、「悪夢を見た後で、この観音様を拝めば
 良い夢に替えてくれる」と信じられていたからだそうです。そうか、では妻を亡くした
 というオッサンの悪夢も、取り替えてくれるのだろうか・・・


  おっと、一瞬アホなことを考えてしまいましたが、気を取り直して次に参ります。
 ちょっと地味な「地蔵菩薩」木像です。これは平安時代に造られたカヤの木の一木造り
 で、観音様に比べると肉厚な感じがします。この仏像は法隆寺のオリジナルではなく、
 奈良盆地南東部(現在の桜井市)にある大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺だった
 大御輪寺(おおみわでら)にあったものだそうです。この寺が明治時代に廃寺になった
 ため、法隆寺に受け渡されたのでしょう。ちょっと異色な経歴の持ち主ですね。
  これも国宝仏像です。像の高さは173センチで、オッサンの身長と一緒です。
 (それがどうした?by妻)

             


  続いてはこれも国宝、「九面(くめ)観音菩薩立像」です。これはちょっと雰囲気が
 一風異なる感じですね。正面の顔の他に、頭上の冠部分に八面の菩薩像が彫り込まれて
 いるので「九面観音」と呼ばれています。十一面観音はメジャーですが、九面観音は珍
 しいみたいです。顔はちょっとふっくら感がありつつ、とても端正な感じです。そして
 服の模様が複雑で、腰のくびれが強調されていてたおやかで優美な感じを受けますね。
 左手には徳利のようなものを持っています。

      

  実はこの像は白檀(びゃくだん)という木の一木造(いちぼくづくり)で、日本で
 作られたものではなく、なんと西暦719年(奈良時代)に中国・唐から持ち込まれたの
 だそうです。舶来品ですね。高さは38センチと小さいですが、とても緻密?に造られて
 います。白檀は堅い木材なので彫刻には最適だったのでしょう。しかし一本の木材から
 このような精巧で優雅な仏像を掘り起こす技術は素晴らしいですね。
   
  そして西宝殿のハイライト、有名な「玉虫厨子(たまむしのずし)」です。国宝中の
 国宝、日本の歴史の一部ですね。(オーバーやの~ by妻)

  厨子は仏像を収めるためのもので、玉虫厨子はあの推古天皇(聖徳太子が摂政として
 その治世を支えたという女性の天皇)の念持仏(ねんじぶつ:個人が身近に置いて私的
 に拝むための小さな仏像)を収めていたといわれています。つまり、推古天皇が使って
 いた時代のもの=聖徳太子様の時代のもの=聖徳太子様もお触りになったかもしれない
 もの、というとても貴重なものです。西暦600年代前半、飛鳥時代の作品ですね。
  木製で表面は黒漆で塗られ、部分的に透かし彫りの金具が取り付けられており、その
 下に昆虫の玉虫の羽が敷き詰められているそうです。今はもう黒ずんでしまっています
 が、造られたころは透かし彫りの隙間から玉虫の羽がきらめくさまが見られたでしょう。
、(しかしオッサン、羽のある昆虫は苦手やから、これは気持ち悪いんちゃう?by))
 ここまで手の込んだ工芸品は、当時としては他には無かったでしょうね。 
  全体の高さは2メートル超ですが、台座の上にある仏像を収納する上段のスペースは
 高さ3~40センチほどなので、やはり念持仏用に造られたものなのでしょう。しかし、
 肝腎のその念持仏は残っていないようです。それとセットになっていたら、もっと凄い
 ことになっていたのでは?


  最初からいきなり国宝の四連発でした。トップバッターから息もつかせぬ猛攻で、早
 くもオッサンは息切れしてきました。スミマセンが、続きは次回に・・・