Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア ㉓カターニャの大聖堂と大広場

  シチリア島の記事も遅々として進んでいませんね、もう23回か、いつ終わるんだ?
 (自分で言ってりゃ世話ないのう~ 皆さん、いい加減飽きてるで。by妻)


  陶器の町カルタジローネから冷房の効いたバスで一時間、シチリア島東部の大都市
 カターニャの中央駅近くのバスターミナルに到着しました。蒸し暑い!        

      


  ここからカターニャの旧市街までは徒歩で20分程ということでなので、炎天下を歩く

 のはやめて路線バスに乗りました。
  しかし、乗ったバスにはちょっと不穏な空気が漂います。妻が、克明に日記に書いて
 いました。それによりますと・・・
 ・・・怪しげな男女が乗ってきて、乗客のアメリカ人観光客に小銭をせびっていた。
 嫌な感じだなと思っていたらこっちにもやってきて、なんやら喋りかけてきたが、無視
 を決め込んだ。アメリカ人の兄ちゃんがバスを乗り換えたので、わしら?も続いて乗り
 換えた。・・・
  噂通り、ちょっと治安が悪いようです。シチリアはあまり豊かではないのかも。
  しかしオッサン、ここでもバスを乗り間違え、旧市街の中心ドゥオーモ広場に到着す
 る手前でバスが曲がってしまいました。😱 いかん、このままではどこか知らない場所
 に連れていかれてしまう・・・と思って、慌てて降りました。(アホ)
  まだドゥオーモ広場からそんなに離れていないバス停でしたので、助かりました。


  さぁ、ドゥオーモ広場に着きました。堂々たる大聖堂(ドゥオーモ)が目に飛び込ん
 できました。創建は11世紀ですが、正面(ファサード)は18世紀にヴァッカリーニさん
 という彫刻家が手がけたそうです。1693年にカターニャを中心としたシチリア島の東部
 ・南部を襲った大震災で崩壊した後で、当時のバロック様式で再建されたそうです。
  かなりデカいし、立派な外観です。これぞ、大聖堂っていう感じです。

  ファサードは明るい水色がかった灰色で、なかなか美しいです。まさにカターニャの
 町を代表するモニュメントですね。さっそく中に入ってみます。
   うわ、広いです。聖女アガタに捧げられた教会なので、祭壇にも聖アガタが祀られて
 いるようです。カターニャは人口30万人強、シチリアで二番目に大きな都市ですので、
 主教会であるこの大聖堂は、かなり大勢の人を収容できるようになっているようです。 

     

  ここには、カターニャ生まれの19世紀初頭のオペラ作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリ
 ーニさんのお墓と墓碑があるのです。歌劇「ノルマ」や、「夢遊病の女」、「清教徒」
 といったベルカント・オペラ(直訳だと「美しい歌声」。イタリアの伝統的な声楽様式)
 の代表的な作曲家です。病弱のため33歳でパリにて客死しますが、その亡骸は故郷であ
 るここカターニャの大聖堂に収められました。まさしく、町の誇りというべき存在です。
  オッサンは、お墓の写真を撮らない主義ですが、ネットで写真が掲載されていました
 ので、参考までに引用させていただきます。かなり立派なものですね。

    

  大理石の棺?の正面には、ベッリーニの代表作「夢遊病の女」のアリアの冒頭の部分
 が刻まれています。 "Ah, Non credea mirarti・・・” 

   「あぁ、お前がこんなに早く萎れるとは思わなかった・・・」
 狂気に駆られた主人公のソプラノが、萎れた花を手に取って、自らの運命を嘆くシーンで
 歌われる名アリアですが、おそらくこの歌詞は、早世した作曲家自身に手向けられたもの
 として刻み込まれたのでしょう。33歳とはあまりに早すぎる・・・ヴェルディ先生や、
 せめてロッシーニさんくらい長生きしたら、もっと名曲がたくさん生まれたはず・・・
 (いや、ロッシーニは40歳くらいで筆を折ってしもうたから、参考にならんで。by妻)


  オッサン、ベッリーニ先生を偲んで、帽子を取ってお参りをしました。
 (そんで、後から帽子を失くした言うて大さわぎしたんやな。アホめ。by妻)
  結局帽子は見つからず・・・
   大聖堂の中には、1693年の大震災、エトナ火山の噴火の様子を描いた壁画があるそう
 ですが、広い堂内を探しましたが見つかりませんでした。探し方が悪いのかなぁ。


  気を取り直して大聖堂前の広場へ。ここにも面白いものがあるのです。
  ん? 大聖堂に向かってそびえている柱みたいなものは、何や?(by妻)

  はい、これも大聖堂と同じく彫刻家ヴァッカリーニさんが、1736年に制作した「象の
 噴水」です。この象の像は、なんとエトナ火山の噴火で流れ出た後に冷え固まった溶岩
 を使っているのだそうです。すげぇ~
  これも、かなり大きいです。カターニャはやはりスケールがでかいね。

    

  象の背中には町の紋章の絨毯?が置かれ、その上にオベリスクが載せられています。
  オモロイものが大好きな妻は、この「象の像」がいたく気に入ったようでした。

    

  さて、時間があまりないので次の目的地に向かいます。
  ドゥオーモからほど近い所にあるベッリーニ博物館、さっきの作曲家の生家が博物館
 になっています。ベッリーニは音楽家を輩出した名家に生まれ、当時の大都会ナポリの
 音楽学校に留学して学んだそうです。かなりのイケメンらしく、プレイボーイだったと
 いうことです。昔、イタリアの5000リラ札にはベッリーニさんのこの肖像 ↓ が描かれて
 いました。

     

  しかし、この博物館は扉が堅く閉じられていました。やっぱり・・・夏休みなのかな。
  諦めきれずに後でもう一回立ち寄りましたが、閉まったままでした・・・あぁ~。


  気を取り直して、次はバロック様式の邸宅が並ぶというクロチーフェリ通りという
 所に行きました。ベッリーニ博物館から緩やかな坂道になっている大通りです。
  こんな感じ ↓ で通りに沿った古い邸宅がバロック様式のバルコニー、飾りのある出窓
 で装飾されています。ほう、なかなか面白そうやな・・・  

  通りの中ほどにあるサン・ベネデット教会は、階段を登ったところに入口があるという
 ちょっと変わった造り。ここで催し物が開かれているようでしたので、入ってみました。

  中では古代ギリシアの壺などの古代の遺跡出土品のようなものが展示されていました。
 写真を撮ることができなかったので、ちょっとどんな感じかは忘れてしまった・・・
  他にも、こんな ↓ 感じの小ぢんまりとしたバロック風の装飾が施された建物があって、
 一つ一つ見ていくとなかなか楽しい感じです。しかし、ほとんどの建物が扉を閉じてい
 て、中には入ることができませんでした。


    

  しかし、このあたりは大きな通りに面していて、しかも昼間なのに人通りが少なく、
 よく見るとガラの悪そうな少年~青年たちがたむろしています。遠くからは指笛の音が
 つんざくように聞こえます。悪ガキどもが仲間を呼んでいるのでしょうか? ちょっと
 雰囲気がよろしくないので、オッサンたちは早々に引き返し、再びドゥオーモ広場まで
 戻りました。ちょっとコワかった・・・やはりあまり治安が良くなさそうだ・・・
  
  でも、ドゥオーモ広場は観光客が多いので安心です。(ただしスリなどには要注意)
 広場に面したカターニャ市庁舎のバルコニーには、町の紋章がかけられていました。
 あ、これはあの「象の像」の背中に掛けられているものではないかな?

    

  この広場にはちょっとしたお土産物屋がありました。アメリカ人やドイツ人の観光客
 はお土産をあまり買わないらしいですが、日本人は記念にお土産を買いたい人種ですね。
 オッサンは、とりわけお土産を買って帰るのが大好きなので、ちょっと覗いてみます。 

  そして妻が喜ぶかなと思って?、オッサン、こんなもの ↓ を買ってしまいました。😆                

  かなり雑な造りですが、なんだか微笑ましい。妻も案外気に入っていたようでした。
    妻の日記には、「オッサンが『一応』イタリア語でしゃべるので、店のオッチャンが
 おおげさに感動してくれていた」と書いてありました。まぁ、客を喜ばそうとしてくれ
 ていたのでしょう。片言のイタリア語でも、買い物はなんとかできるものですね。😆


  カターニャにはベッリーニ劇場というすばらしいオペラハウスがあるのですが、ここ
 も残念ながら閉まっています。もう、やる気ゼロやな~
  まぁ真夏だからオペラや演奏会はないので閉まっていて当然ですが、美しい劇場内部  
 を有料でもいいから見せてほしいですね~。ま、ミラノ・スカラ座やパリのオペラ座の
 ような世界的な観光名所という訳ではないから仕方がないかな・・・
  参考までに、ネットで見つけた写真を掲載します。まずは重厚な外観。

  そして絢爛豪華な内部。典型的な馬蹄形の劇場ですね。こんなバルコニー席に座って
 ベッリーニ様のオペラ「清教徒」を見てみたいな。感動するだろうな~


  また、カターニャにも古代ローマ時代の遺跡、円形闘技場などがあります。
 残念ながら時間と体力が残り少なくなりましたので、タクシーで中央駅に向かいます。
  観光できる時間が2時間半ではちょっと無理だな~(当たり前や。アホ。by妻) 
 
  さぁ、これで日帰りのカルタジローネ&カターニャの観光は終わりです。再び鉄道で
 タオルミーナまで戻ります。タオルミーナの駅からは、バスで崖の上の町まで・・・
  翌日はいよいよタオルミーナ、いやシチリア島を去る日です。さびしい・・・